話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

独り立ちの時、お母さんがくれた鍋

鍋の手入れをする時間が好きだ。

黒ずみを落とすため、鍋の外側と内側をスポンジで丁寧にこするのは根気がいる。けれども、だんだん綺麗になっていくと嬉しくて、ツヤツヤに戻った姿を見ると幸せな気持ちになる。

うちのお鍋は、私が一人暮らしを始める時にお母さんが持たせてくれたもの。特別な素材やブランド品ではなく、一般的なアルミ製の雪平鍋と両手鍋。サラリーマンなら中堅かもしれないが、両方とも9年目のベテラン選手だ。

新品の時についていたはずの表面のコーティングはすっかり剥がれているし、アルミ鍋は焦げ付きやすい。手入れも正直ちょっと面倒だし、新品の良いお鍋に買い替えることも考えた。けれども、ずっとそれが出来ずにいる。

なかなか捨てられないのは、家族と私を繋ぐ特別な存在だからだろう。実家との距離は遠くとも、母から貰った鍋がうちで毎日の生活を助けてくれていると、一緒に暮らしているような気分になる。

時間があった日の夜、洗った鍋で米のとぎ汁を煮立てて流し、丁寧に手入れした。アルミ鍋を長く大切に使うためのポイントだ。ツヤツヤの鍋をふきんで拭いて戸棚に戻す時間が、たまらなく愛おしかった。

#わたしの自立

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センセイと星空

八ヶ岳の夜は美しい。静かで穏やかだ。雑音一つ聞こえない。周囲は高い山脈に囲われており、その内側で過ごす人々は、優しくて暖かい。

政治学の研究室の皆で、教授が「色々と」手伝っているという自治体にあるコテージへ合宿に来ている。合宿と言っても、自治体の問題の表面を舐めるためのツアーであって、ほとんど観光をしているようなもの。参加自由なので、研究室のメンバーも物好きか、遊びたいかくらいの理由を持つ数人しか来ていない。その頃の私はちょうど地方自治を研究していたので、もちろん参加した。ツアーで見学したのは再開発中の工事現場や、新しいショッピングモールなど。更新中のこの街に「色々と」感じ取るものがあった。

夕食で食べた、八ヶ岳の新鮮な野菜を使ったフレンチのコース料理は見事だった。特に前菜で食べた大きなセロリ。東京で見るものの3倍のサイズにもかかわらず筋がなくて、青みがとても爽やかだった。教授は「こういうものを守るために諸々手伝っているんだ」と言った。

「ちょっと」
「はい」

「夜に向けて買い出しへ行こう。君は運転をしなさい」「まっすぐ20分くらい行けばセブンイレブンがある。その前に一度右折できるところがあるから、そこを曲がりなさい。見せたいものがあるから」

教授のことを私はセンセイ、と呼んでいた。「センセイ、曲がりましたが、この後は?」

「まっすぐまっすぐ。ほーら! 見えてきた。ここで止めて。」「悪魔のような深い深い谷底。ふふふ、怖いでしょう?」

「永遠に下へと続くような暗黒……ですね。周りに誰もいないし、一人では怖くて孤独で耐えられなそうです」

「でもね、そう悪いもんじゃないんですよ。この崖のギリギリに立つと、自分のやっていることがなんてちっぽけなんだと思うんです。足掻いてもすぐにでも飲み込まれてしまいそうな、無力を感じるんです。けどね同時に、なぜか大切な人のことを思い出して勇気が湧いてくる。私がやるしかないってな感じでね」「ほら、上の星空も綺麗でしょう。下に広がる闇と同じくらい、綺麗なものがたくさんあるんですよ」

「いいでしょう? ここ。」

今週のお題「星に願いを」

伊坂幸太郎とチョコミント

バーに行くと必ず頼むのが「グラスホッパー」。ペパーミントとカカオのリキュール、生クリームをシェイクして作るショートカクテル。味は”まんま”チョコミント。注文するとたいてい珍しがられるので、飲む人はほぼいないのだろう。甘いものが苦手な人にはおすすめできない。

私がグラスホッパーを飲むようになったのは、伊坂幸太郎の小説「グラスホッパー」を読んでから。ただのくだらない韻踏みだ。小説について少し説明すると、主人公は最愛の妻をひき逃げによって失い、その犯人を復習目的で探していたところ、殺し屋同士の闘争に巻き込まれるというストーリー。主人公は命の不安を感じながらも、真実に近付こうともがき続ける。ジャンルで言えば、ミステリーのハードボイルド。

主人公は物語の序盤、犯人を追っている時に、大学時代に教授から言われたバッタについての言葉を思い出す。たくさんの人が密集する、渋谷のスクランブル交差点で。「これだけ個体と個体が接近して、生活する動物は珍しいね。人間というのは哺乳類じゃなくて、むしろ虫に近いんだよ」「蟻とか、バッタとかに近いんだ」。

また、物語に登場する殺し屋が、大事な殺人の前に相手へ告げる台詞でも、バッタについての話をする。「バッタは、密集したところで育つと『群集相』と呼ばれるタイプになる。そいつらは、黒くて、翅も長いんだ。おまけに、凶暴だ。どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。黒くなり、慌ただしくなり、凶暴になる。人もごちゃごちゃしたところで、暮らしていたら、おかしくなる。人間は密集して暮らしている」。

私は普段の生活で何か問題が合った時なんかに、この小説のバッタについての語りを思い出す。凶暴化した私。暴力的になる貴方。今の我々は、普通のバッタか、それとも――。

バッタは英語でグラスホッパーグラスホッパーは、バーで1人、自分を見つめ直すのに最適なカクテル。

今週のお題「チョコミント

本を読みにおいでよ

家に人を呼ぶのが苦手だ。場所、広さ、明かり、家電、家具、雑貨。他人にとって大事な多くの物事が私の部屋には欠落している。代わりに、本しかない。きっと皆にはつまらない家だと思う。家に来て嫌な感情を覚えて欲しくないので呼びたくない。

けれども、言葉を通じて仲良くなった人には本を読みに来て欲しい。漫画によくある、陰気な登場人物が、図書館通いをきっかけに出来た友達を家に誘うシーンのようなもの。コレクションを自慢したいというよりは、ただ仲良くなりたいと思って提案している。貴方ならちゃんとした友達になれる気がして。

本くらいしか楽しみのない部屋へ来ても退屈しないでいてくれそうな存在は、「我々」みたいな人間にとっては稀有なのだ。なんで貴方は私を受け入れてくれるのだろう?それなら私は貴方を大事にしたい。もっと心を開きたい。言葉が私を救ってくれるんだと打ち明けたい。

そうだ、うちへ本を読みにおいでよ。

今週のお題「お部屋自慢」

母と私のお花見弁当

お花見弁当で私が必ず作るものいえば「お稲荷さん」。
いなり寿司というと、関東は俵型で具なしの酢飯、関西は三角形で五目ご飯入りと、東西で特徴が分かれるそうですが、東京生まれの私が作るのは、ひじきの混ぜご飯を詰めた俵型のお稲荷さん。


美味しいひじきご飯のお稲荷さんを作るポイントは、手を抜かずにひじきの煮物を作ること。
ひじきはたっぷりの水で長時間戻してふっくらさせなきゃいけないし、ちゃんと茹でこぼし、その後しっかり炒めて磯臭さを取り除かなきゃいけない。これを怠ると、固くて嫌な匂いのひじきになってしまいます。
そしたら、鶏ひき肉、人参、こんにゃく、れんこん、戻した干し椎茸を入れて炒め、椎茸の戻し汁とかつおだし、醤油、味醂三温糖ちょろっと。味付けはあえて濃くしたりせず、2日目の味のしみた物をお稲荷さんに使います。炊きたてご飯に混ぜて、冷ましておく。

油揚げは、カットして切り口を丁寧に広げたら、さっと茹でて油抜き。くどさが抜けるし、後で含ませる出汁の香りが生きます。かつおだしと昆布だしの間の子で醤油とお砂糖で煮付ければ完成。中に詰めるご飯が甘いので、あんまり甘く味付けしすぎないように注意。お揚げが冷めたら、軽く煮汁を絞ってご飯を入れて、形を整えたら完成。付け合せに紅生姜を忘れずに添えて。

ひと口かじれば、お揚げに染みた甘辛い出汁がじゅっと滲み出、ほっこり美味しいひじきご飯が口いっぱいに。れんこんシャキシャキ、紅生姜シャクシャク、食感楽しく、箸が進む。それにしても、今の私なら多少おしゃれなパーティー料理だって作れるはずなのに、なんで地味なお稲荷さんを毎回花見のために作っているのでしょう。しかも、中身はただの酢飯だって良いのに、あえてこんな面倒な作業をこなしてまで――。


悩んでいるうち瞼の裏に浮かんだのは、母と一緒に行った最初で最後のお花見の時のお弁当。大好物のひじきご飯のお稲荷さんをたくさん食べました。幼い頃の私は白いご飯が苦手で、おにぎりはもちろん、白飯の入ったいなり寿司も食べられない。そんな私のためのスペシャルメニューがひじきご飯のお稲荷さん。お花見の時期になると、私はその原体験を無意識に思い出し、いつもいなり寿司を作っているのかもしれません。

ひじきの煮物を混ぜれば白いご飯は食べられるけれど、私は鼻がよく効くので磯臭さの残るひじきは嫌い。それと、味の染みていないひじきも苦手。だから母はしっかり下処理、下ごしらえをしてくれていたのでしょう。こんな面倒な作業をこなしてまで――。

今週のお題「お花見」

今はどんな本を読んでいるのーー私のカバンの中身

今週のお題「カバンの中身」

「最近どう?」と調子を伺う代わりに、“本読み”の友人たちとは本の話をする。「今はどんな本を読んでいるの?」「今はね……」といった感じでカバンの中から本を互いに取り出して、一冊一冊紹介したり、「何で買ったの」と質問したり、ペラペラとめくって本を読み合ったり、「この作家ならあの作品もよかったよ」なんておすすめし合う。

こういう話は、居酒屋やバーで飲み物を注文した後にするのがいい。乾杯までの間に、最近相手が気になっていたことや考えていることを知れるので、その後の会話につながる。

それに、もし新書ばかり読んでいる人がある日を境に突然小説を読むようになっていたら、またはその逆でも、それはしばしば何か目には見えない精神的な変化の現れであったりする。

私自身がいい例で、身近な誰かに影響を受けて、これまでの私なら手に取りそうもない本を読んでみたり、図版なんかを買っていたりすることがたびたびある。この頃は、アメリカ文学や映画のスクリプトをペーパーブックでよく読むようになった。これらはもともとバイリンガルの上司や親友の趣味で、その影響をモロに受けている。接する時間が増え、彼らのことを尊敬したり大切にする気持ちが強くなったせいだろう。

そういえばある日、友人といつものようにそんな会話をしていると、学生の頃読んだという小説を「なんとなく、ふと」読み返しており、読み終わった本を私にプレゼントしてくれたことがあった。友人はノンフィクションや新書ばかりを好むし、Kindleで本を読む人なので、予想外の展開にすごく驚いた。
分厚いハードカバーをカバンの中に入れると、本の重みをずっしりと感じ、大事な気分をまるごと受け止められたような気がした。何か有ったのか深く聞いてみるか迷ったが、まずは本を読んでできるだけ理解してみようと思い、やめることにした。
本のやり取りは、心のやり取りなのかもしれない。

もう二度と、たどり着けないかもしれないバーで

隠していた宝物をひっそりと掘り返しては、その存在を確認している気分になる店がある。銀座の大通りから少し入った、古いビルの店の奥に隠された一室で、ひっそりと営業しているバーを、そんなふうに想っている。

銀座のバーとはいっても、有名なバーテンダーのいるような格式高いオーセンティックなバーではない。メニューは、ウイスキーを3種類、ロックか水割りかだけ。私のような小娘でも分かる銘柄の。あとは、ただ良いジャズがかかっている。そして、東京に生まれ育ったチャーミングで品の良いマダムがずっと相手をしてくれる。なんとなく、心もとない一人の夜を過ごすのには、すごくちょうどいい場所だ。

私は、ちょっと情けないのだが、自分から強く何か勧めたり、話をして聞いてもらったりするのが得意ではない。プライベートになると、急に自信がなくなるのかもしれない。だから曲やお酒のリクエストもほとんど出来ない。

けれどもこの店では、そのマダムが「姫と聴こうかなと思って」なんて真面目な顔でおちゃらけて言って、良いジャズを勝手にチョイスをしてくれる。飲み物も「水割りでいいよね?」と勝手に決めて出してくれる。ほとんど断りなしに全て決められてしまうのだけれど、自分が望んでいたものを見透かして提供して貰っている感じがする。それが心地よくて、たまらない。

その後はずっと、最近読んだ本だとか好きな街の話をふらふらしてくれる。「うん、そうですね」とか「そうかなあ」とか言いながら、会話を続けている。

時折、ここがなくなってしまったら、私はこの先いつまでどんな夜を彷徨うことになるのだろうと不安が襲ってくる時がある。だから、この店へ向かおうと、例の込み入った順路を歩いている時、もしお店を見付けられなかったら……と怖くなる。だからいつも、少し駆け足で向かう。

無事到着し、お店の扉を見つけてもなぜか毎回胸の詰まる思いになる。扉を開くまで「どこかへ行ってしまっていたらどうしよう」と、不安でいっぱいなのだ。

そして、彼女の笑顔を見てやっと「ああ、良かった。まだあった」と。そう思って、いつも通り良いジャズを聴いて、勝手に出される水割りを飲んで、どうでも良い話をする。

ところで、彼女はエリック・ドルフィーというジャズマンが好きで、彼の曲「ラストデイト」の演奏後、聴き手に語りかける言葉を、お店のコースターにデザインしている。

When you hear music, afiter it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.

彼女は「あたしこの言葉大好きなの」と何度も言ってくれる。きっと大事なポリシーにしているのだと思う。そんな彼女のお店で音楽が止まったことは、おそらくまだ一度もないだろう(もちろん一曲一曲の休止はあるが)。だって、私が閉店時間に帰るときにも、店内にジャズを鳴り響かせてくれているくらいだから。

もし、この店で音楽が止まるようなことがあったら、ドルフィーが言う「聴き終えたミュージック」のように、次来た時には空に消えてなくなってしまっているかもしれない。