話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

髪を染めない、流行を追いかけない

髪。黒髪に変えてしばらく経った。カラーが抜けて明るくなると下品に見えるのが嫌で、思い切ったのは遥か昔。まずは地毛に近い黒色で染め、その後色が抜けてきたら部分的に補修するように美容院で染色している。染める周期は2ヶ月に一度から、倍以上になった。髪はツヤツヤ、サラサラで、髪色や手触りに悩む日が無くなった。

服。買いはするが、欲張ったり、冒険はしない。ZARAのベーシックラインを着続けている。手長ザルのような私の体型に合うので気に入っている。購入後は、手洗いとほつれの手直しをしながら大事に着る。最近はこれしか着ない。ニットやスキニーデニムなど、体にフィットしたシンプルな服。体型管理にさえ気をつけていれば、好きなシルエットの自分しか鏡に映らない。

黒髪にする前は、美容師に眼光鋭い私の顔と175cmの高身長では「威圧感が出るのでやめておけ」と望んでも諭され叶わなかった。「ピンク色を入れて女性らしさを出しましょう。」「緑を入れて話しやすいカジュアルな雰囲気にしましょう。」 毎日代わり映えのない服を着ていると、「もっとこういう服着たらいいのに」「損しているよ、もったいない」とアドバイスいただくことも多かった。真っ青なワンピース、赤いジャケット。女性らしいボディライン。生地やデザインに拘ったブランドの服。

(言うとおりにしていれば、貴方や皆にもっと気に入られるの?)

無理して見た目を繕ったその先には、他人からの空虚な肯定しかない。しかも、自分で納得した外ヅラでないから「これでいいのか?」と不安がいつもついて回る。心の飢餓感に苦しめられた。

30歳になった時、ふと周りの意見がどうでもよくなった。他人の意見のままに自分の見た目を変えようと努力するのがバカバカしくなった。 化粧っ気もついでになくなった。しっかり化粧をしないと女性として見られない、社会人失格と聞いていたけれど。痒さや手間を我慢して顔に手を施す理由が分からなくなった。薄化粧になっても、真摯に向き合えば仕事はちゃんと手に入れることができた。

ブスなんだから、他人の目を意識し外見に拘って生きるべきだと思っていたのに。声をかけてバッチいと嫌がられるほど見た目に優れない人間に、自己肯定感など一生生まれないと思っていたのに。いつしか私の中にこれでいっか、と言う気持ちが訪れた。

自己肯定感には、他人に認められて生まれる感覚と、自分をありのままに受け入れる考え方と2つあるという。前者にすがらず、後者を身につけた時、重かった肩の荷が降りた。

公園に行きたくなくて、アリが怖いからと嘘をついた

幼い頃の私は公園遊びをよく拒んでいたと聞く。

親は親で、上の子や他の家の子は「お友達」と楽しそうに遊んでいるのに、私は嫌そうにしているのが理解できなくて仕方なかったらしく、何とかして公園遊びを克服させようと必死だった。

「なんで公園に行かないの?」との質問に、「アリが怖いから」と私はいつも言い訳していた。その後で「アリさえいなければ公園に行くのか」と問い詰められると、私は「分からない」と答えていた。その度に「ちゃんと答えろ!」と殴られた。

アリが怖いのは、無理やり連れてこられた公園で、「お友達」を避けて木陰で座っているからだ。やっと見つけた1人になれる場所なのに、身の回りによく分からないものがたくさん居るのが気持ち悪くて仕方がなかった。

アリへの恐怖に耐えながら公園で時間が過ぎるのを待っていると、「遊具で遊べ」「お友達に混じってこい」と親に命令されてしまう。とはいえ、公園には面倒な序列やグループがある。そう簡単にいくものではない。それに自ら巻き込まれに行くのが面倒臭くて、家に帰りたくて仕方がなかった。

アリ自体が嫌なのは本当だけど、もっと嫌なものが公園にはあった。

思えば、昔からこうやっていかにも真っ当そうで少しズレた理由を意見し、真意を隠すことが多かった。相手をガッカリさせないように、弱みを握られないように。親は今でも、私が公園を嫌がった理由をアリのせいだと思っている。

大人になった今でも、答えをごまかしてしまう。私はいつも通り、アリが怖いと言う。心の距離は遠いままだ。

苦手なボディタッチの例外

体に触られるのが苦手だ。軽く触れられるだけで強い違和感を感じる。

もともと慣れていないのもあるが、触覚が人より敏感なのだ。例えば、マッサージで肩や背中を揉まれると、全身に鳥肌が立ちくすぐったくて仕方なくなる。

残念なことに過去の経験から、警戒しているのもある。相手は単に親睦のためにボディタッチをやっているのかもしれないが、肩に手を置かれるだけで、あからさまにびっくりしてしまう。

けれども美容院は別だ。業務の一環として触れられてるから心理的負担がないのもあるかもしれないが、本当に心地がよい。一定のちょうどよい刺激があるし、両手で頭を触られる時には不思議な快感がある。

まつ毛エクステも同様だ。どんなに顔を撫でられても大丈夫だし、むしろ額に他人の手の重みがあることに安心してしまう。施術中に知らない間に眠っていて、優しい声で起こされるのはある種の喜びがある。

だから、定期的に通える。少なくとも4,5年は同じ店に行っていると思う。

たぶん、どちらも目を瞑って身を任せられる信頼関係に裏打ちされた安堵があるから、体に触れられても気持ちいい、と感じられるのかもしれない。あなたに私の髪や手を撫でられるのが、不思議と心地良いように。

独り立ちの時、お母さんがくれた鍋

鍋の手入れをする時間が好きだ。

黒ずみを落とすため、鍋の外側と内側をスポンジで丁寧にこするのは根気がいる。けれども、だんだん綺麗になっていくと嬉しくて、ツヤツヤに戻った姿を見ると幸せな気持ちになる。

うちのお鍋は、私が一人暮らしを始める時にお母さんが持たせてくれたもの。特別な素材やブランド品ではなく、一般的なアルミ製の雪平鍋と両手鍋。サラリーマンなら中堅かもしれないが、両方とも9年目のベテラン選手だ。

新品の時についていたはずの表面のコーティングはすっかり剥がれているし、アルミ鍋は焦げ付きやすい。手入れも正直ちょっと面倒だし、新品の良いお鍋に買い替えることも考えた。けれども、ずっとそれが出来ずにいる。

なかなか捨てられないのは、家族と私を繋ぐ特別な存在だからだろう。実家との距離は遠くとも、母から貰った鍋がうちで毎日の生活を助けてくれていると、一緒に暮らしているような気分になる。

時間があった日の夜、洗った鍋で米のとぎ汁を煮立てて流し、丁寧に手入れした。アルミ鍋を長く大切に使うためのポイントだ。ツヤツヤの鍋をふきんで拭いて戸棚に戻す時間が、たまらなく愛おしかった。

#わたしの自立

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センセイと星空

八ヶ岳の夜は美しい。静かで穏やかだ。雑音一つ聞こえない。周囲は高い山脈に囲われており、その内側で過ごす人々は、優しくて暖かい。

政治学の研究室の皆で、教授が「色々と」手伝っているという自治体にあるコテージへ合宿に来ている。合宿と言っても、自治体の問題の表面を舐めるためのツアーであって、ほとんど観光をしているようなもの。参加自由なので、研究室のメンバーも物好きか、遊びたいかくらいの理由を持つ数人しか来ていない。その頃の私はちょうど地方自治を研究していたので、もちろん参加した。ツアーで見学したのは再開発中の工事現場や、新しいショッピングモールなど。更新中のこの街に「色々と」感じ取るものがあった。

夕食で食べた、八ヶ岳の新鮮な野菜を使ったフレンチのコース料理は見事だった。特に前菜で食べた大きなセロリ。東京で見るものの3倍のサイズにもかかわらず筋がなくて、青みがとても爽やかだった。教授は「こういうものを守るために諸々手伝っているんだ」と言った。

「ちょっと」
「はい」

「夜に向けて買い出しへ行こう。君は運転をしなさい」「まっすぐ20分くらい行けばセブンイレブンがある。その前に一度右折できるところがあるから、そこを曲がりなさい。見せたいものがあるから」

教授のことを私はセンセイ、と呼んでいた。「センセイ、曲がりましたが、この後は?」

「まっすぐまっすぐ。ほーら! 見えてきた。ここで止めて。」「悪魔のような深い深い谷底。ふふふ、怖いでしょう?」

「永遠に下へと続くような暗黒……ですね。周りに誰もいないし、一人では怖くて孤独で耐えられなそうです」

「でもね、そう悪いもんじゃないんですよ。この崖のギリギリに立つと、自分のやっていることがなんてちっぽけなんだと思うんです。足掻いてもすぐにでも飲み込まれてしまいそうな、無力を感じるんです。けどね同時に、なぜか大切な人のことを思い出して勇気が湧いてくる。私がやるしかないってな感じでね」「ほら、上の星空も綺麗でしょう。下に広がる闇と同じくらい、綺麗なものがたくさんあるんですよ」

「いいでしょう? ここ。」

今週のお題「星に願いを」

伊坂幸太郎とチョコミント

バーに行くと必ず頼むのが「グラスホッパー」。ペパーミントとカカオのリキュール、生クリームをシェイクして作るショートカクテル。味は”まんま”チョコミント。注文するとたいてい珍しがられるので、飲む人はほぼいないのだろう。甘いものが苦手な人にはおすすめできない。

私がグラスホッパーを飲むようになったのは、伊坂幸太郎の小説「グラスホッパー」を読んでから。ただのくだらない韻踏みだ。小説について少し説明すると、主人公は最愛の妻をひき逃げによって失い、その犯人を復習目的で探していたところ、殺し屋同士の闘争に巻き込まれるというストーリー。主人公は命の不安を感じながらも、真実に近付こうともがき続ける。ジャンルで言えば、ミステリーのハードボイルド。

主人公は物語の序盤、犯人を追っている時に、大学時代に教授から言われたバッタについての言葉を思い出す。たくさんの人が密集する、渋谷のスクランブル交差点で。「これだけ個体と個体が接近して、生活する動物は珍しいね。人間というのは哺乳類じゃなくて、むしろ虫に近いんだよ」「蟻とか、バッタとかに近いんだ」。

また、物語に登場する殺し屋が、大事な殺人の前に相手へ告げる台詞でも、バッタについての話をする。「バッタは、密集したところで育つと『群集相』と呼ばれるタイプになる。そいつらは、黒くて、翅も長いんだ。おまけに、凶暴だ。どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。黒くなり、慌ただしくなり、凶暴になる。人もごちゃごちゃしたところで、暮らしていたら、おかしくなる。人間は密集して暮らしている」。

私は普段の生活で何か問題が合った時なんかに、この小説のバッタについての語りを思い出す。凶暴化した私。暴力的になる貴方。今の我々は、普通のバッタか、それとも――。

バッタは英語でグラスホッパーグラスホッパーは、バーで1人、自分を見つめ直すのに最適なカクテル。

今週のお題「チョコミント

本を読みにおいでよ

家に人を呼ぶのが苦手だ。場所、広さ、明かり、家電、家具、雑貨。他人にとって大事な多くの物事が私の部屋には欠落している。代わりに、本しかない。きっと皆にはつまらない家だと思う。家に来て嫌な感情を覚えて欲しくないので呼びたくない。

けれども、言葉を通じて仲良くなった人には本を読みに来て欲しい。漫画によくある、陰気な登場人物が、図書館通いをきっかけに出来た友達を家に誘うシーンのようなもの。コレクションを自慢したいというよりは、ただ仲良くなりたいと思って提案している。貴方ならちゃんとした友達になれる気がして。

本くらいしか楽しみのない部屋へ来ても退屈しないでいてくれそうな存在は、「我々」みたいな人間にとっては稀有なのだ。なんで貴方は私を受け入れてくれるのだろう?それなら私は貴方を大事にしたい。もっと心を開きたい。言葉が私を救ってくれるんだと打ち明けたい。

そうだ、うちへ本を読みにおいでよ。

今週のお題「お部屋自慢」