話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

母と私のお花見弁当

お花見弁当で私が必ず作るものいえば「お稲荷さん」。
いなり寿司というと、関東は俵型で具なしの酢飯、関西は三角形で五目ご飯入りと、東西で特徴が分かれるそうですが、東京生まれの私が作るのは、ひじきの混ぜご飯を詰めた俵型のお稲荷さん。


美味しいひじきご飯のお稲荷さんを作るポイントは、手を抜かずにひじきの煮物を作ること。
ひじきはたっぷりの水で長時間戻してふっくらさせなきゃいけないし、ちゃんと茹でこぼし、その後しっかり炒めて磯臭さを取り除かなきゃいけない。これを怠ると、固くて嫌な匂いのひじきになってしまいます。
そしたら、鶏ひき肉、人参、こんにゃく、れんこん、戻した干し椎茸を入れて炒め、椎茸の戻し汁とかつおだし、醤油、味醂三温糖ちょろっと。味付けはあえて濃くしたりせず、2日目の味のしみた物をお稲荷さんに使います。炊きたてご飯に混ぜて、冷ましておく。

油揚げは、カットして切り口を丁寧に広げたら、さっと茹でて油抜き。くどさが抜けるし、後で含ませる出汁の香りが生きます。かつおだしと昆布だしの間の子で醤油とお砂糖で煮付ければ完成。中に詰めるご飯が甘いので、あんまり甘く味付けしすぎないように注意。お揚げが冷めたら、軽く煮汁を絞ってご飯を入れて、形を整えたら完成。付け合せに紅生姜を忘れずに添えて。

ひと口かじれば、お揚げに染みた甘辛い出汁がじゅっと滲み出、ほっこり美味しいひじきご飯が口いっぱいに。れんこんシャキシャキ、紅生姜シャクシャク、食感楽しく、箸が進む。それにしても、今の私なら多少おしゃれなパーティー料理だって作れるはずなのに、なんで地味なお稲荷さんを毎回花見のために作っているのでしょう。しかも、中身はただの酢飯だって良いのに、あえてこんな面倒な作業をこなしてまで――。


悩んでいるうち瞼の裏に浮かんだのは、母と一緒に行った最初で最後のお花見の時のお弁当。大好物のひじきご飯のお稲荷さんをたくさん食べました。幼い頃の私は白いご飯が苦手で、おにぎりはもちろん、白飯の入ったいなり寿司も食べられない。そんな私のためのスペシャルメニューがひじきご飯のお稲荷さん。お花見の時期になると、私はその原体験を無意識に思い出し、いつもいなり寿司を作っているのかもしれません。

ひじきの煮物を混ぜれば白いご飯は食べられるけれど、私は鼻がよく効くので磯臭さの残るひじきは嫌い。それと、味の染みていないひじきも苦手。だから母はしっかり下処理、下ごしらえをしてくれていたのでしょう。こんな面倒な作業をこなしてまで――。

今週のお題「お花見」

今はどんな本を読んでいるのーー私のカバンの中身

今週のお題「カバンの中身」

「最近どう?」と調子を伺う代わりに、“本読み”の友人たちとは本の話をする。「今はどんな本を読んでいるの?」「今はね……」といった感じでカバンの中から本を互いに取り出して、一冊一冊紹介したり、「何で買ったの」と質問したり、ペラペラとめくって本を読み合ったり、「この作家ならあの作品もよかったよ」なんておすすめし合う。

こういう話は、居酒屋やバーで飲み物を注文した後にするのがいい。乾杯までの間に、最近相手が気になっていたことや考えていることを知れるので、その後の会話につながる。

それに、もし新書ばかり読んでいる人がある日を境に突然小説を読むようになっていたら、またはその逆でも、それはしばしば何か目には見えない精神的な変化の現れであったりする。

私自身がいい例で、身近な誰かに影響を受けて、これまでの私なら手に取りそうもない本を読んでみたり、図版なんかを買っていたりすることがたびたびある。この頃は、アメリカ文学や映画のスクリプトをペーパーブックでよく読むようになった。これらはもともとバイリンガルの上司や親友の趣味で、その影響をモロに受けている。接する時間が増え、彼らのことを尊敬したり大切にする気持ちが強くなったせいだろう。

そういえばある日、友人といつものようにそんな会話をしていると、学生の頃読んだという小説を「なんとなく、ふと」読み返しており、読み終わった本を私にプレゼントしてくれたことがあった。友人はノンフィクションや新書ばかりを好むし、Kindleで本を読む人なので、予想外の展開にすごく驚いた。
分厚いハードカバーをカバンの中に入れると、本の重みをずっしりと感じ、大事な気分をまるごと受け止められたような気がした。何か有ったのか深く聞いてみるか迷ったが、まずは本を読んでできるだけ理解してみようと思い、やめることにした。
本のやり取りは、心のやり取りなのかもしれない。

もう二度と、たどり着けないかもしれないバーで

隠していた宝物をひっそりと掘り返しては、その存在を確認している気分になる店がある。銀座の大通りから少し入った、古いビルの店の奥に隠された一室で、ひっそりと営業しているバーを、そんなふうに想っている。

銀座のバーとはいっても、有名なバーテンダーのいるような格式高いオーセンティックなバーではない。メニューは、ウイスキーを3種類、ロックか水割りかだけ。私のような小娘でも分かる銘柄の。あとは、ただ良いジャズがかかっている。そして、東京に生まれ育ったチャーミングで品の良いマダムがずっと相手をしてくれる。なんとなく、心もとない一人の夜を過ごすのには、すごくちょうどいい場所だ。

私は、ちょっと情けないのだが、自分から強く何か勧めたり、話をして聞いてもらったりするのが得意ではない。プライベートになると、急に自信がなくなるのかもしれない。だから曲やお酒のリクエストもほとんど出来ない。

けれどもこの店では、そのマダムが「姫と聴こうかなと思って」なんて真面目な顔でおちゃらけて言って、良いジャズを勝手にチョイスをしてくれる。飲み物も「水割りでいいよね?」と勝手に決めて出してくれる。ほとんど断りなしに全て決められてしまうのだけれど、自分が望んでいたものを見透かして提供して貰っている感じがする。それが心地よくて、たまらない。

その後はずっと、最近読んだ本だとか好きな街の話をふらふらしてくれる。「うん、そうですね」とか「そうかなあ」とか言いながら、会話を続けている。

時折、ここがなくなってしまったら、私はこの先いつまでどんな夜を彷徨うことになるのだろうと不安が襲ってくる時がある。だから、この店へ向かおうと、例の込み入った順路を歩いている時、もしお店を見付けられなかったら……と怖くなる。だからいつも、少し駆け足で向かう。

無事到着し、お店の扉を見つけてもなぜか毎回胸の詰まる思いになる。扉を開くまで「どこかへ行ってしまっていたらどうしよう」と、不安でいっぱいなのだ。

そして、彼女の笑顔を見てやっと「ああ、良かった。まだあった」と。そう思って、いつも通り良いジャズを聴いて、勝手に出される水割りを飲んで、どうでも良い話をする。

ところで、彼女はエリック・ドルフィーというジャズマンが好きで、彼の曲「ラストデイト」の演奏後、聴き手に語りかける言葉を、お店のコースターにデザインしている。

When you hear music, afiter it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.

彼女は「あたしこの言葉大好きなの」と何度も言ってくれる。きっと大事なポリシーにしているのだと思う。そんな彼女のお店で音楽が止まったことは、おそらくまだ一度もないだろう(もちろん一曲一曲の休止はあるが)。だって、私が閉店時間に帰るときにも、店内にジャズを鳴り響かせてくれているくらいだから。

もし、この店で音楽が止まるようなことがあったら、ドルフィーが言う「聴き終えたミュージック」のように、次来た時には空に消えてなくなってしまっているかもしれない。

英語だけでは、深く考えられない

言語学習が中途半端だと、物事を考える能力の発達に影響を及ぼすと言われることがある。

日本語を生まれた時から日常的に聞いて話し、読んで書き、ずっと学校で国語表現を学んだ人を「100%日本語を学習した人(ネイティブ)」とすると、日本語で思想や哲学をしたり、文学的な表現までは行かずとも、誰かに分かりやすく日本語で物事や気持ちを伝える際の支障が少なくなる、という話だ。

語彙の数のほか、日本語を利用した経験が多いため、簡単な日本語も、複雑な日本語も、あるいは現代語や古語さえも、学習の密度と伸び代の差にもよるが、状況に合わせてスイッチして使うことができる。

けれども、50%しか日本語を学んでいないと、あるところを境に表現できない世界が生まれてしまう。例えば「ご飯が美味しい」と思っても、どう美味しいのか、どうして美味しいと思ったのか、以前食べたアレにどう似ているだとか、伝えたくても言葉が思い浮かばなくなってしまう。

言葉が思い浮かばないというよりは、そういう言語表現をしたり聞いたりした経験が殆どないがゆえ、そんな考えすら、頭のなかに浮かばない可能性もある。

勿論、学校教育で50%しか習うことができなかったからといって、必ずしも日本語を上手く使えないというわけではない。 小学校までは日本で育ったが、それ以降は米国の現地学校へ行ってしまったため、日本語と英語を半分ずつしか学校では勉強しきれていない方でも、個人学習で補完し語学力を伸ばすことができた、なんてケースもあると聞く。

私はというと、日本語はネイティブで、割と得意な方だと思う。けれども英語は、仕事用の英語が多少分かる程度で、日常会話はほとんどできないという超アンバランスな状態だ。

ここ1、2年仕事で英語を日常的に使っているのだが、話題や会話にパターンがあるので、それ以外の話の表現の仕方や語彙を知る機会がない。 それに、普段は日本語で生活してるので、英語話者と普通の会話をする際には支障が出てしまう。留学経験もなければ、元々英語が苦手だったせいもある。

この語学レベルのせいで例えばどんなふうに困るかというと、以前こんなことがあった。普段はアメリカにいる仕事のパートナーが日本へ来ていたので、食事へ行き、いろんな話をする中で、好きな映画の話になった。たまたまイーサン・ホーク主演の「Before Sunrise」という同じ作品を気に入っていることが判明し「おー!」と盛り上がったのだが、私はその先なんと言えばいいか分からなくなってしまった。

日本語でなら「前作に続くストーリーという設定、物語の登場人物も演じる俳優も同様に歳をとっているという点が好き」「別の国同士の人間が、言葉を通じて恋に落ちていき、気持ちを確かめ合う感じがたまらない」なんて語り出したら止まらないはずなのだが、口を噤んでしまった。

何の言葉も頭に浮かばなかったのだ。英語を話す時、英語で物事を考えながら英語を使うようにしているのだが、これまで上記のようなことを思い浮かべたり、言葉を読んだり聞いたりした経験がなかったため、すごく困った。

だから「会話やセリフが良い」「センチメンタルな気分になる」「サウンドトラックも挿入歌のCDも買った」といった抽象的で簡単な表現に終始してしまい、すごく悔しい思いになった。

日本語では深い考えが浮かぶのに、英語では全くそういう行為ができない。彼も私の焦れったい気持ちを理解してくれた。「美波はいつもたくさん考えているはずだから、分かるよ。また会った時に話そう」と。

けれども、次の日にはアメリカに帰ってしまう彼と、日本語でするような濃厚な会話ができなかったのが、とにかく苦しかった。

それから私は、深く考えたことを英語の文章で具体的に書く練習をすることにした。いつかまた彼に会った時私の考えをきちんと伝えることもできるし、自分のためにもなるからだ。

何ヶ月か経ち、やっと英語でエッセイをひとつ書けたので、第1作目をその彼に「良ければ」とシェアしたところ、嬉しい言葉を返してくれた。

I hope you continue to write - in English - and share your thoughts, so I can keep up with you!

英語で深く考え、それを伝えられた経験を経て初めて、言語の壁を越えて、心を通わせる喜びを知った。

落語初心者による、「渋谷らくご」体験記

落語って面白いのだろうか。好きな人はよく通っているけれど、初心者の私には古い言葉も文脈も理解できず、きっと楽しめないに違いない。けれどいつかは行ってみたい。そんな気持ちをずっと抱えながら生きてきた。

しかし先日、思い切って落語へ行ってみようと思った。誕生日だったからだ。毎年誕生日には、「興味はあっても踏み込めなかったこと」を体験する機会を自分にプレゼントしているのだが、今年はそれが落語だった。

実は友人に誘われて、2、3度寄席に赴いたことがあるのだが、その後自ら演芸場を訪問していなかったのも、今回のきっかけになっている。せっかく貰った機会を無駄にしていたなと悔やんでいたのだ。

それに、「初心者でも楽しめる」がキャッチコピーの落語のイベントが馴染みのある渋谷のライブ会場で開催されていた。 「渋谷らくご」という渋谷の劇場・ユーロライブで開催された定期落語会で、お笑い芸人のサンキュータツオさんが、毎回出演する噺家さんをキュレーションしている。 タツオさんが「落語初めての方も」とよくツイートされているのも背中を後押しした。

そんなわけで、9月9日〜13日の間開催された渋谷らくごに行ってきた。実際に観覧してみると、非常に面白かった!お笑いのライブを見るような感覚でリラックスして楽しめた。江戸の職人の人情溢れるエピソードが多く、特に「子別れ」という噺には涙してしまうほどだった。

私の大好きな鰻を食べるシーンもあり、食べられていた鰻の形態についての考察、他に鰻が出てくる落語をついつい調べたりもしてしまった。

*「後人鰻」は、「後生鰻」の間違い

古語ばかりで分からないかと思いきや、全くそんなことはなく、殆ど現代語で、きちんと聞き取れるし理解できた。難しい専門用語や落語ファンならおなじみのエピソードが出てくると、噺家さんが話の流れの中でスムーズにジェスチャーをつけて説明してくれて、置いてけぼりになることもない。そうして自然に落語に詳しくなっていけるのも良い。

落語の噺を始める前の「まくら」では、落語家の普段の姿、最近行った営業先でのエピソードなど、どんな人にも身近に感じられ心をほぐしてくれるような話をしてくれる。

「渋谷らくごに出るからにはーー」といった、"ならでは"のエピソードを展開してくれる噺家さんも多く、其々がどんなまくらを話すのか楽しみで仕方がなくなった。なお、まくらはpodcastで聴くこともできる。

毎回発行されている「どがちゃか」という「公式読み物」(パンフレット)には、出演する噺家さんの紹介や前回のアーカイブも記載されていて読み応えがあって面白い。これに載る自分の紹介を楽しみにしているという噺家さんもいた。

古典芸能を観に行くと、よくおじいさんやおばあさんの中に1人若者が紛れてしまい、肩身の狭い思いになったりもするが、若いお客さんが比較的多いのにも安心できた。

また、演芸場ではどこでどんなふうに料金を払ったら良いか分からず、休憩のタイミングも掴みづらかったりもするが、「渋谷らくご」は予め決められた時間帯の講演から好きな回を選び、カウンターでチケットを購入するシンプルな導線なのも良い。

しかも、4人の噺家が出る「しぶやらくご」は大人の当日券で2500円、2人の噺家が出る「ふたりらくご」は1200円と凄く安い。ふらっと映画を見に行く感覚でむかえてしまう。当初の私のように、敷居の高さに怯えて行こうか行くまいか悩んでいる人は、是非気軽な気持ちで行ってみて欲しい。

こんなにカジュアルに落語を楽しめるのなら、時間さえ合えばきっと来月も行くんだろうなと思っていたら、本当に来てしまっていた。落語にハマり始めている自分を見つけた。

*渋谷らくごの10月公演は18日まで開催されている。

東京者は「地方の人」と言うと嫌われる

そういえば、今年は「地方」へ行っていない。
それどころか東京23区、しかも千代田、中央、港、渋谷、新宿の5区以外へは両手で数えられる程度しか訪れていないような気もする。

「田舎っぺ」という、田舎で育った人や、田舎にずっと住んでいる人を指すあまり良くない差別用語があるが、言うならば私は「東京のかっぺ」であると思う。少し恥じらいすらある。生まれ育った東京から殆ど出ることなく生活してきた。

東京にしか住んだことがないし、東京しか知らない。まあ正直、それで特に不自由なく生活できている。むしろ恵まれているから、問題ないのだろう。それに、東京については強い愛着があるので、割と人より歴史や文化に詳しいし、その自信もある。充実している。

けれども、他県から東京へ出てきた人に出会うと、ほかの土地のことも知っているのが羨ましくなり、じれったい思いになる。「なんで私は東京以外に住んだり、長く滞在したり、きちんと訪問した経験がないのだろう?」そして「東京へ出るという感覚を体験していないのだろう?」と。

まるで何も苦労を知らない、他の世界を知らない、子供のまま歳をとってしまったダメ人間みたいではないかと。自分の無知を恥じるし、東京出身者以外との壁に、孤独を感じる。

そんな私は「東京」と「それ以外」という概念で、自分の身の回りの土地や世界をまったく自然に見ている。そして本当に悪気なく、「それ以外」を指す言葉に「地方」を使う。

そういう言葉が元々あったから用いただけなのだが、度々「配慮がない」とか「これだから東京者は」と揶揄される。

身の回りの人や、テレビやメディアではよく使われている言葉だから普段通り使っただけなのだが、初めて「地方の人」にこう指摘された時、失言をしたのに気がついた。東京の人が「地方の人」と言うと、他県を見下しているように感じられてしまうそうなのだ。

知らなかった分、すごく苦しくなった。彼らと壁を感じていたにも関わらず、更にその溝を深めることをしてしまった自分の過ちを反省した。コミュニティの外に追いやられた気がして、本当に寂しくなった。

東京のカッペは、東京のカッペなりに、他の出身者と上手に仲良くやれない難しさを感じているのだ。

ところで「東京のカッペ」という造語は、私のよく行く下町の老舗の喫茶店の店長が、彼自身について称していた言葉だ。
私や他の客が「今日は丸の内に行ってきた」、「銀座に新しい施設ができたらしい」なんて東京の他の土地の話を彼にすると、「外のことはわからねえや、俺は『東京のカッペ』だからさ。この店は年中無休だし、旅行に行く金もないし、もうこの土地から30年、いや40年以上出てないからな。銀座も丸の内もわからねえや」といった話で〆てくれる。

この掛け合いがなんだかいじらしく、気持ちがよくて、自分の生い立ちにも重なり、何度でもやりたくなってしまう。店長も、店やその街を片時も離れたことがないのを誇っているようで、なんだか嬉しくなる。

ちなみに、東京下町の孤島に暮らす「カッペ」が入れてくれるコーヒーは、ちょっと薄くて苦味もなく、新聞片手に何杯でも飲める懐かしい味わいなのが気に入っている。

焼肉屋でタン塩ばかり食べてしまう/下北沢牛タン居酒屋「たんたん」

「タン塩」は、その言葉に触れてしまったら最後。コリコリ、プリプリとしたなんとも言えない食感と、噛めば噛むほどに出てくる肉の旨味を思い出し、その瞬間、すぐ焼肉屋へ駆け込みたくなってしまう。

お昼時ならば、牛タン・とろろ・麦めしの抜群のセットを提供してくれる「ねぎし」で定食をかきこめばいいが、どうしても業務を抜けられない時なんかはコンビニでチルドの「スモークタン」を買って食べる。140kcalくらいとヘルシーだし、牛タンの食感、レモンと塩と肉の旨味をなんとなく味わえたような気がして多少満足できる。

思い起こせば、タン塩を初めて食べたのは20年程前だった。フジテレビ系の情報番組「発掘あるある大辞典」か何かで、「牛タンがこれから流行る」と知り、「とりあえず試してみるか」と家族で近所にある1番手軽なチェーンの焼肉屋に行ってみたのが最初の出会いだったはずだ。かなり薄い肉のスライスではあったが、確かにそれは牛タンであった。

これまで食べていた焼肉のそれとは明らかに食感も違うし、ほかのどの肉よりも先に焼かなければならないルールだとか、タレ味の焼肉のように特別ご飯が進むと言うわけではないが、レモンと塩で食べる独特の作法に、大人な嗜みを感じて気に入った。

ただ1人、「焼肉はタレ味」「肉は脂の乗ったサシの入ったものしか認めない」と言って聞かない頑固者の父だけは、タン塩を初めて食べた日に「まずい」と言って、それ以来絶対に手をつけなかったので、タン塩派が焼肉を嗜んでいる数十分の間はずっとお預け状態だった。

大人になってからも、焼肉屋ではこうして「タン塩食べない派」の待ちの時間ができてしまい、忍びない気持ちになることが時折ある。そもそも焼肉屋はみんなで美味しいお肉を食べる場所であって、「タンを心行くまで食べたい派」が欲望を全面的に露わにしていい場所ではない(たぶん)。では、そんな少数派の人々はどんな店へ行けばいいかといえば、これから紹介するような牛タン料理の専門店である。

牛タン好きの友人とその日向かった下北沢の「牛タン居酒屋 たんたん」は牛タンの部位に合った調理を施し、様々な牛タン料理を提供している。歯ごたえのある部位は焼き料理に、スジ肉ならば煮込んで旨味を出してシチューやカレーに、といった具合で。珍しいメニューもあり、牛タン入りのおでんやコロッケ、メンチカツなどもある。

注文したのは「とろとろゆでたん」、塩・味噌・ネギの三種の味を楽しめる「3種MIX焼き」。ゆでたんは、噛み応えを残しながらも口の中で解けていく感覚に驚いた。玉ねぎと一緒に煮込んだスープの自然な甘さと凝縮された旨味がたまらない。

3種MIX焼きは違う味付けを少しずつ楽しめ、色々食べたい欲張りな人には嬉しいメニュー。中でもネギ味は生姜が入ったさっぱりとした味付けで、不思議なくらい沢山食べられる気持ちになる。気に入ってしまい、単品でさらに追加してしまった。

たんたんを始める前は、野菜の専門料理店で働いていたというオーナー夫妻。その知識を生かし、メニューには「季節野菜のパフェサラダ」「ごぼうのから揚げ」など沢山の有機野菜の料理が並ぶ。注文した「焼きなす」は、なすをまるまる一本とろとろになるまで焼いて、丁寧に皮をむいた状態で提供された。たっぷりの削り節と醤油をかけていただく。

合わせる飲み物は日本酒がオススメだ。十種類ほどあるお酒の中からどれを選べばいいか悩んでいると、ご主人が好みを聞いてそれに合ったものを提案してくれた。基本的に辛めのすっきりとした味わいのものを多く揃えているという。日本酒のほかに、ビールやワイン、焼酎もある。

さて、こんなに私を長きに渡って魅了する牛タン。牛タンを今のように鉄板で焼いて食べ始めたのはいつ頃か調べてみたところ、諸説あるが、戦後のヤミ市にルーツがあることがあるとわかった。戦後の食糧難のなかで、昔は食べずに捨てられていた牛や豚の内臓がヤミ市で流通し、それを焼き始めてホルモン焼きやもつ焼きが始まったとされているが、日本で牛タンを鉄板で焼いて食べるのも、そこに起源があると言われている。

では、誰がこの「牛タンを焼く」という行為を発明したか。という問いを解き明かしたいのだが、「焼き鳥を始めたのは誰だ?」という話にも似ていて、答えは「旧石器時代に鳥を焼いて食べていたことが最初ではないか?」のような太古の歴史の調査をもとにした回答になり、普段の生活とは遠い話であるがゆえ、ちょっぴりつまらなくなってしまう。ちなみに、牛タンを食すルーツも旧石器時代にあるそうだ。

上記の反省を踏まえ、あるメニューに焦点を絞ってルーツを調べてみると、身近で分かりやすい話になる。例えばタン塩なら、1976年六本木に「叙々苑」を創業した新井泰道氏が開発したと言われている。

「目玉商品がほしくて肉屋さんに相談したら、タンを使いなよ、と勧めてくれたんです。当時は、タンシチューぐらいにしか使ってなかったから、品物が余ってた。塩をかけて焼いて、賄いで食べてる、というんですよ。旨くて安いよ、と。レモンダレは、タン塩にレモンを搾って食べたい、というホステスさんの注文がヒントになった」。

日経レストランオンライン

ほかにも、仙台の名物料理の「牛タン焼き」は、元々焼き鳥店を営んでいた「太助」の初代・佐野啓四郎氏が、牛タン焼きの専門店を開業したのがその始まりという。

ではタンシチューは?ゆでたんは?とどんどん気になって来るところだが、取り上げ始めたらキリがないのでこの辺にしておく。このように牛タンとっいってもいろんな切り口で語ったり調べたりできるのも、私は凄く魅力に感じている。

次は四ツ谷にある「たん焼・忍」、秋葉原たん清」に行ってみたい。仙台の牛タン焼発祥の店「太助」も水道橋に支店があるそうで、気になっている。今回食べなかったメニューを試しにまた「たんたん」へ行ってもいいな。明日、いや、今すぐにでも行ってしまいそうだ。