話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

恋もエロも秘め事だからいい

 ネットやSNSを見ていると、やっぱり恋とかエロとか、そういう話やコンテンツが多いなと思う。

 中高と、女子校に通っていたのだけれど、恋バナの延長でセックスの話になることが多々あった。私はああいうのが大嫌いで、一切参加しなかった。

 私が一切下ネタを話さないのに気づいた友人の一人が「なんで話さないの?」と聞いてきたので、「そういうことは、人様の前で言うもんじゃない」と答えた(彼女にはその一撃が大変効いたようで、今でもその時の話をしてくる)。

 下品なのが苦手というか、とっても恥ずかしくて、口に出して言うなんてとてもできないことなのに、どうして彼女らがそういうことをおおっぴらに出来るのか分からなかった。

 Twitterのタイムラインでは、やれAVだのその女優だの、エロだのといった投稿を1日に何度も見かける(私のタイムラインに限る話かもしれないけれど)。女家系で女子校育ち、団体行動・団体生活をあまりして来なかった私にとって、そういう話は今まで殆ど聞こえてくることのないものだったから、正直この環境には慣れない。友達だったとしても、そればっかりつぶやく人はフォローを外してしまう(ちょっと前までは、それについていかないといけないような気がしたが、やっぱり無理だった)。

 というか、そもそもそういう話は、男同士のコミュニティ内で隠れてやるものだったはずだし、エロ本やAVはベッドの下に、エロゲや動画はフォルダに隠すものだったはずだ。そしてもちろんのこと、私はアダルトコーナーやアダルトサイトという聖域には絶対近づかないようにしていたから、そういうのは見えるはずのないものだった。(そして女性は、そういうの、見ないし、しないし、してても恥ずかしかったり、気品を守るために、話さないものなんじゃないの…?)。でも、最近は見えないように、近づかないようにしていても、どうしても見えてしまう。情報爆発とは、こういうことなのだろう。

 そういえば、Facebookを利用していると、誰かと付き合ったらステータスを「交際中」にしなければいけないような感じがする。交際相手に変更を強いる人も多い(らしい)。好きな人や恋人、別れた人のタイムラインを1日中追いかけて、思いを馳せたり、嫉妬する人もかなり居るそうだ。

 でもそんなことで、人と人とのつながりを強固にできるものなのだろうか。ステータスも、写真も、つぶやきも、ネットにアップされたものは、全部情報であって、こんなもの、所詮表面上のつながりにしかならないように思う。

 ステータスを変更して、付き合いが楽しいだの、好きだの言ったり、共有している情報を投稿したり、ネットでの動きをストーキングしても、なんだか満たされなくて、それを続けて、どんどんどんどんやってしまうのは、相手を表面の情報で捉えているからだと思う。

 表面上のつながりはプチンと切れやすいので、紡いでも紡いでも、足りないような気がしてしまう。しかも、仲の良さが目に見えて分かりやすいから、麻薬みたいにやめられない。例えば、ステータスをもとに戻せば2人の関係はおしまいだし、写真をアップしなければ仲良しができなくなってしまったりする。だからやめられないで、エスカレートしてしまう。人を想うってことは、そういうことじゃないんじゃないか?

 ところで、恋人同士で互いの誕生日を祝って、高価なプレゼントを贈り合って、それを周りにSNSで見せたりすることで、2人の距離は縮まったのか? 愛は深まっているのか? という疑問があるんだけれども、そういうのもやっぱり表面的、形式的な愛であると思う(悪いことではないし、嫌いじゃないし、むしろ好きなんだけれども)。

 甲本ヒロトは「千年メダル」という曲で「例えば君に名前なんてなくても、例えば君に星座なんてなくても、思い出す忘れない、僕はずっと君のこと考えてるところ」と歌っている。名前やれ星座やれ誕生日やれ、共通の趣味とか、仕事ができるだとか、有名だとか、そういう情報を徹底的に削ぎ落したとしても、好きだと思えることが、大切なんだと思う。もちろんそんな思い、きっと言葉に出来ないし、誰にも教えられないけど。だからきっとヒロトは「気の効いた名ぜりふを考えてるところ」なのだろう。


千年メダル

 そんなことをぼんやり思う(下ネタについていけなくて、ごめんなさい)。