話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

「だってコム・デ・ギャルソンなんて、昔はファッションオタクくらいしか着ていなかったでしょ?」

 Instagramに投稿するために、おしゃれなカフェでラテを頼む。TwitterでRTされるために、面白おかしいことをつぶやく。Facebookで「いいね!」を貰うために、パートナーとの交際宣言をする。――このごろみんな、SNSに投稿するのを意識して行動する傾向にある気がする。ファッショントレンド考察ブログ「Elastic」の中の人のつぶやきを見てふと思った。

 ついひと昔前までは、ファッションはオタク的なものであったと思う。好きな価値観や主義主張を持つブランドを選択し、自分のスタイルを追究するのが“ファッション”だったと記憶している。「だってコム・デ・ギャルソンなんて、昔はファッションオタクくらいしか着ていなかったでしょ?」。

 コム・デ・ギャルソンにはよく分からないものが多い。ある人にはヘンテコと捉えられるようなスタイルだったりする。川久保玲のアイデンティティに共鳴するファッションオタクだけが、そのアイテムを身に付ける資格を得ていた。ファッションが好きだから、コム・デ・ギャルソンを着るのだ。コム・デ・ギャルソンというと、そういう存在だったと思う。

 でも今は違う。“パンピー”だってコム・デ・ギャルソンを着る。しかも、コム・デ・ギャルソンを着ているのを誰かに気づいてもらうために、あのハートマークが付いた「プレイ・コム・デ・ギャルソン」のTシャツだけを好んで着る。川久保玲のアイデンティティとかよく分からないし、歴史も知らない。通常のラインのコートやジャケットなんて、奇抜過ぎてとても着れやしない。でも、ファッションが好きだから、あのTシャツを着る。

 どちらもファッションが好きだから、コム・デ・ギャルソンを着ているのに変わりはない。ただ、自分の中でスタイルを追究するよりも、誰かと共有できる分かりやすいものの方が好まれる時代になった。ただそれだけのことだ。

 どうしてそうなったかというと、物と情報が爆発的に増えたからだろう。物と情報が増えすぎて、世の中にかっこいいものや、おしゃれなものが多くなり過ぎた。その結果、どれを選択すればかっこいい/おしゃれになれるか分からず、迷ってしまう人が激増した。だからより分かりやすいものが好まれるようになった。それゆえ、プレイのTシャツや、DEAN & DELUCAやCherをはじめとする、ブランドのロゴバッグが人気を博したのだろう。

 オタクの話に戻す。情報量が爆発して、メディアが増え、好きなものの情報に簡単にアクセスできるようになり、独自のスタイルを追究するオタクの生き方を、誰でも出来るようになった。ひとつの物事を追究する姿勢は、とりわけかっこいいものでも、特別なものでもなくなった。オタク的に生きることのバリューが世間的に薄らいでしまった。だから、オタクであるメリットはそれほどない。いつでも、誰でも、すぐにオタクになれるのだし。

 そんな生き方よりも、今は周りの「共感」をたくさん得るスタイルが好まれる。これは、SNSをみんなが頻繁に使うようになったことによると思う。

 最初は適当に思いついたことをSNSに投稿していたはずが、慣れてくると、「フォロワー」や「友だち」といった誰かを意識しながら、つぶやきや写真を投稿するように。さらには、SNSに投稿して、誰かに共感・評価してもらうために行動し、つぶやき、写真を撮るようになった。それこそ、おしゃれなカフェで、ラテアートの可愛いカフェラテを頼んだり、パートナーとの交際を周囲に公にするその背景には、誰かにSNSで「いいね!」と評価してもらいたい感情が潜在的にあると言っても過言ではないと思う。そうやってみんながSNSにのめり込んでいくうち、「共感」や「評価」に囚われる生き方が広まった。

 これから私たちは、インターネット的な社会で、もっともっと、行動やアイデンティティを“着飾る”ようにして生きていくようになる。もしかしたら、友達として、恋人として、チームメイトとして貴方を選んでいる理由すらも、SNSで誰かに評価されるためなのかもしれない。