話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

日本橋三越とファストファッション、定価と値下げと酉の市

深夜の日本橋が好きだ。ビジネス街だから、丑三つ時にもなれば殆ど店はやっていないので、本当に人がいない。静まり返っている。

 
最近出来たコレド日本橋を過ぎ、新しさも高さもないビルが窮屈に並ぶ通りを抜けると、御影石で作られた緩やかなアーチ型の日本橋が現れる。橋の先には、三越だとか三井本館だとかルネサンス様式の迫力ある建物が連なっている。美しい橋の下には神田川が流れていて、川の上には先の東京オリンピックのために作られた首都高速が走っている。だから川は暗くて狭くて、決して綺麗とは言えない状態だ。それなのに、川辺には小洒落たレストランがある。テラスで眺めの悪い川を見ながら浮かれた男女が飲むのだろう。昔と今の間や、美しさと見苦しさの間のバランスが上手くとられていて、とてもいい。
 
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日本橋といえば、三越の存在を無視できない。三越といえば、その前身の越後屋は、江戸時代に定価を始めた店として知られている。値切りを見越して高値をつけるのをやめ、最初から安値をつける代わりに値切りをしない方針を取ったのが人気を得た。お金に執着しない、カッコつけの武士は値切らずに買えるそのシステムを好んだ。江戸っ子があまり値切りをしないのは、それが由来らしい。
 
今この時代に、定価で値下げせずに勝負しようもんなら、それは大変なことだろう。安くて良い物が溢れ、それを知り得る情報も、それを手に入れるためのインフラも整っている。そういうお買い物は、全くもって合理的でないからだ。もしそれでも小売業のマーケットにおいて、高値の定価で勝負するなら、在庫を抱えないことが条件になって来るのかもしれない。
 
一方ZARAとかGAPとか、ファストファッションと言われる類いは強い。値下げをしない越後屋とは逆のシステムで、大量の在庫を抱え、それを値下げしながら全部売り切る方針を取っている。品質も悪いわけではないし、最初の定価の値段設定も決して高くない。しかも数週間もすれば、30%オフ、半額、70%オフとどんどん値下げされ、遂には500円を切る商品も出てくる。トレンドから離れて行く代わりに、その金銭的価値が下がって行く。トレンドを追いかけたければ、そう高くない定価で買えばいいし、安い買い物をしたければセールで買えばいい。非常に合理的な等価交換なのだ。
 
我々の中にはもう、ファッションオタクは殆どいない。確か前のエントリーで書いたが、こだわって買うファッションアイテムは、SNSでたいそう自慢できる物でなければ意味がないし、そこにブランド価値がある。
 
例えばサンローランのバッグがあれば、それ以外は何と無く体裁を整えられる物で良い。それ以外については、トレンド感もあり、“安くて良いものを着こなしてる”を演じられるファストファッションが非常に合理的だ。
 
サンローランのバッグは、手に入れてSNSで自慢できればそれでいい。そこに価値を見出しているから、安く買えれば万々歳。ネットショップで売られてる偽物なのか本物なのか分からないものでも良かったりする。近い将来、本物が殆ど売れなくなったりするかもしれない。その点ファストファッションは偽物が無いから、強い。
 
そういう最近の人々の購買行動や、物に対する思いを見ていると、なんだか寂しい気がして来る。でも合理性には逆らえない。合理的なものは便利だ。便利な世の中は幸せだ。だから、きっと、これでいいのだ。
 
そういえば浅草の酉の市では、江戸っ子が珍しく、熊手を買うために、値切りに値切る姿を見ることが出来る。値切れば値切るほど縁起がいいとされているからそうするのだが、さらに、値切った分の差額はご祝儀として店の人に返すのだ。つまり結局払ってる額は、定価と変わらない。面白いし、粋だなあと思う。ここではどんなに値切っても、物の価値は本質的に変わらない。あるのは店の人と客とのコミュニケーションと信頼関係でなされるプロレスと、いつの時代も評価される良い熊手であって、そこに合理性や現代のマーケットの文脈は入ってこない。
 
何が言いたいかというと、私は、過去と今と未来の間を生きているのだなぁと思う。雑な文章になった。