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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

空港は、波打ち際に似ている

なんだか最近、空港に焦がれている。

空港は、私のいるこの場所と、どこか遠いところを繋いでいる。私のいたついさっきまでの今と、遥か彼方の未来を繋いでいる。日本と世界を、繋いでいる。

そんな空港で、多くの人が時間を超えて、行ったり来たりするのを見ていると、安堵と心もとなさとの狭間にすっぽりハマった感じになり、ぼんやりしてくる。波打ち際で、寄せては返す波にさらされているような気分になる。ちょっと嫌なんだけど、結構心地いい。でも、そんなに長くは居られない。そんな気持ちになりたい気が、とてもする。

波打ち際は、陸と海の境界だ。人間が生きることのできる陸と、まだそれが不可能な海とのちょうど間である。日本と、未だ見ぬ世界との境界でもある。作家の松浦寿輝さんは、波打ち際について、「不安定かつ不分明で、人間にとっては危険と安全が隣り合わせの場で、他者が到来する予感の場、出会いの場でもある」と表現している。空港は、波打ち際に似ている。そういえば空港はたいてい、海沿いにある。


空港といえば、私は海外旅行にほとんど行ったことがない。旅行もあまり行かない。出張や観光は好きだが、リゾートで永遠ぐうたら、みたいなものに、あまり興味が無い。お金がかかるし、一時的な逃避のような感じがして、凄く無意味な感じがしてしまう。旅の途中で「ここに居ていいのか?」と気落ちしてしまう。思い出してみると、家族旅行ではリゾートへばかり行っていたのだが、滞在3、4日目くらいに私ひとり、気落ちして脱落してしまうことが多かった。もしかすると、興味が無いというより、遊び方を知らないだけなのかもしれない。

旅は、逃避のための手段ではなくて、人生そのものが旅であると思う。ジャズバンドで世界を旅していた山下洋輔さんが、著書の「ピアニストを笑え!」で同じようなことを言っていた。「やっぱり実家が一番」などという人がいるが、あまり共感できない。本質的に「一番」とは思えない。人生という旅に帰る場所なんて、そもそもないのだ。旅の途中駅として、あらゆる場所や人が存在する。そんなイメージを持っている。

だから、今は大好きな日本の東京だけれども、いつかは東京でないところにいるかもしれない。違う県や国で結婚や最期を迎えるかもしれない。でも別に、それでいい。そういう運命なのだから。そのために、いつも荷物は軽くしてある。たぶん明日にでも、引っ越しできる。そうやっていつも、東京で、波打ち際に、生きている。


話は変わるが、ほかの世界を知らないのは不幸なことなのだろうかと、時々考える。無理矢理にでも、どんどん知りに行ったほうがいいのではないかと、焦りそうになる。閉じられた世界で生きてきた自覚があるので、それこそ学生の頃は、不幸だと思っていたから、何でもやった。限られた時間で、知り得る世界を駆け巡った。(たぶん、目の前の問題や、過去のトラウマから逃避するために、自分に自信を持つために)次から次へと、新しいことへと興味を移し、生き急いでいた。でももう、なんだかそれも、もういいような気がしている。

ただ、いつか“星座が繋がったら”、あのことをやろうと思っている。あの人に会おうと思っている。あのことや、あの人は、今はまだほとんど、予想がつかないけれど。「藝人」の水道橋博士さんは、自分の経験や知識、知人友人を、夜空に無数に存在する星に例え、それらによって新しい企画や交友関係など、何かが誕生した時に、「星座が繋がった」と表現する。そして、「星が散らばっている時、その星を結んだ瞬間が一番楽しい」という。

最近私も、いくつか小さな星座が繋がるようになってきた。繋がった星座は、以来煌々と輝いている。今後どこへ行ったとしても、空は同じだから、星座は必ず、いつも綺麗に、見えるはずだ。


夜の空港で星を眺めるのが、今の気分に合っているかもしれない。