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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

最後の晩餐には、自分で作った料理を食べたい

料理が好きだ。すごく、好きだ。

涼しくなって来たし、今週どこかで、炊き込み御飯と焼きサンマにけんちん汁、秋のフルコースでも作ろうか。付け合わせは、茄子の煮浸しを冷やして生姜をのっけたのと、自家製の漬け物にしよう。

週の終わりに一週間の献立を考える。ピアノで作曲するようにして、頭の中の鍵盤を叩き始める。まずは主菜を「月曜はサンマ、火曜は鶏肉、水曜は鮭」といった感じで決めて、ベースとなるメロディを組む。合わせて、主食や汁物で伴奏部分を作った後は、副菜で遊びの部分を作り、世界観に広がり持たせていく。

一つ一つの料理が美味しくても、味や見た目が同じだと、食卓が単調になって、つまらなくなる。奏でるメロディには、強弱やリズムがないといけない。

料理ごとに味付けを変え、炒め物と煮物でホカホカばかりにならないように、冷菜を添える。盛り付けは、平面と高さのバランスを考えて。どんな季節でも作れるメニューなら、季節の食材を使って、趣きを出す。

とはいえ、面白くしようと演出し過ぎると、味や見た目がうるさくなって、食卓全体のまとまりがなくなってしまう。ストーリーとセオリーに則ることも、重要だ。そのさじ加減が、難しい。けれどもそれが、作り手にとっての、楽しみなのである。

料理の仕上がりは、たいてい、心地のいい音楽のようになるし、それを目指している。刺激が弱いわけじゃないけれど、聴いていて疲れない。そして一日に一回は、聴きたくなるような。それが、私の味である。

この心地の良い料理や食卓は、母譲りのものである。そういえば、料理をしていると、母親が自分の体に乗り移っている感覚がする。味付けは勿論、野菜の切り方、刻み方、味見の仕方まで、母と殆ど同じ息遣いになる。

気づけば、ラジオをかけながら台所に立つのも、長い髪をバレッタで留めるのも、赤いチェックのエプロンも同じだった。料理をひとくち食べて、釣り気味の目がへの字に垂れる、「美味しい」と言った時の笑顔もきっと、彼女にそっくりだと思う。

母と一緒にいる時よりも、料理をしている時の私の中に、私の料理に、母を感じる。母の子であるのを、実感する。

たぶん、「最後の晩餐に何を食べたいか」と聞かれたら、母の手料理ではなく、「私が作った料理を食べたい」と言う気がする。

今夜はバッハの「主よ人の望みよ喜びよ」を、かけることにした。