話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

金曜夜の六本木を、頼りにするよりも

終電間際の六本木は、家路につく人と、街中に消える人とが、ひっきりなしに交錯する。駅前のガードレールへ腰掛け、街に訪れる人を眺めてみる。皆笑い、声を弾ませ、楽しげだ。だがその笑顔には、浮世への苦しみが裏打ちされている気がしてならない。

 
 
六本木は昔から、時代の強者が土地を支配している。例えば、江戸時代は武士たちが、大戦中は軍部が街を支配した。そして敗戦後はGHQが、テレビが生まれれば業界人が、今ではIT企業や外資金融企業が、その座に君臨している。六本木に縄張りを持つことが、強者の証のようにも見える。一度縄張りを誰かに奪われたら、二度と戻っては来られない。その座を守るため、土地の主(あるじ)は今一瞬を戦っている。
 
 
六本木にやってくる人たちは、縄張りを持っていない。だからこそ、主が眠る週末にだけ、足を踏み入れるのが許される。その限られた時間だけ、街を自由に行き交い、平日吐かれた主のため息を吸い込むようにして、強い者の気分を少しでも味わおうとする。そうやって街に同化すれば、一夜だけでも、一瞬だけでも強くなれる気がして、彼らは六本木に訪れる。皆、その今一瞬に、儚い希望を抱いている。現実に引き戻されるのが怖くて、できる限り長くいてしまう。
 
 
なんて考えていたら、終電を乗り過ごしてしまった。折角だから、歩いて帰ることにする。騒がしさを背に、狭い道を歩いていると、急に視界が開けてくる。ふと見上げれば、赤い鉄骨が、夜空に突き刺すように立っていた。東京タワーだ。
 
東京タワーは、もう日本で一番高いタワーではない。電波塔としての役目も、終えようとしている。一時は観光スポットとして人気を集めたが、今では閑古鳥が鳴くことも多いと聞く。
 
それでも東京タワーの存在感は、圧倒的だ。米軍戦車の廃材で作られたというコンプレックスを、長い年月をかけて打ち破ったからだろうか。約60年前の建設技術が、今なお通用するのだと、身を持って表明している。リアルタイムの人気や数字に頼らなくとも、胸を張って立っていられる、強さがある。自信と誇りがある。六本木にいる人のように、今一瞬を頼りにしたり、争おうとしていない。東京タワーは、いつだって東京タワーなのだ。きっと、ずっと。
 
 
六本木を頼りにするのに疲れたら、少し歩いて、東京タワーを見に行くと、良いと思う。