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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

伏見稲荷には凄まじい鯛焼きがあるらしい

「言葉が足りない」とある人に言われたことがあった。私が何かを言葉を発するたび、具体的な説明を求められた。例えば「いい空ですね」と言えば、「なんで?」とか「どこがどういう風に?」と返される。またある時は無視された。「返す必要のない中身のない言葉だと思った」からだそうだ。住んでる言葉の世界が違うと思った。

 

詩を書いた本人に、その内容を言葉で解説させるのがナンセンスであるように、「いい空ですね」に具体性を求めるべきではないと思う。勿論空の美しさについて「文字通り」に説いてはいるが、その言葉を発するまでの出来事や、相手や遠いところにいる人への思いなど、色んな感情が重なってやっと出た言葉が「いい空ですね」なのである。この隠された背景が、言葉では直接的に表現されない、言葉の「香り」や「余韻」であり(きっと世間でいう他意とか、情緒といった言葉で説明できるだろう)、漱石の言う「月が綺麗ですね」に裏打ちされた「I love you.」に当たるのである。

話し手は他意のあるなかで、他意のない言葉を発している。例えばずっと好きだった人と遂にデートできて、とても嬉しくて、いつもよりいい空だと感じて「いい空ですね」と思わず言葉にするようにーー。好きだとか、幸せだとか、とてもとても言えない代わりに出た「いい空ですね」。他意アリアリだが、格好をつけて、あるいは配慮をして、他意のない言葉を話者は選んだのだ。その理由を聞くなんて、情緒も風流もあったもんじゃない。

私はこういうまどろっこしいのが好きなのだ。もしかすると、こういう表現しか出来ないだけなのかもしれないが。

ところで、「言葉は発せられた瞬間に誰かのものになる」と、どこかの学者が言っていた。また「言葉は贈り物である」とも言っていた。自分以外の誰かと考えや思いを共有するためにあるのが言葉だが、その存在理由ゆえ、発せられた言葉を聞く相手が居なくなった時、言葉は途端に無意味なものになってしまう。最近の流行り言葉「既読スルー」がネガティブな表現であるのに象徴されるように、一方通信ほど孤独で虚しいものはない。中身があってもなくても、 そこに一緒にいる限り、返事はするべきだ。「文字通り」、言葉のやり取りただそれだけで、目的は達成されるのだから。

まあなんだ、適当に「そうですね」とでも返してくれれば、万事解決するのだが。

 

追記