話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

「SNSによって情報が爆発し、ガラス張りみたいな社会」になった時

報われない物語の主人公を救い出せるのは、作家だけだと思う。誰にも語られない、事実の裏の出来事に真実があるからだ。


例えば、殺人事件がニュースで報道される際、誰が誰を、どこでどんなふうに、何が理由で、といった情報が警察の発表をもとに述べられる。確からしい事実以外は話されない。報道機関はあくまで第三者的立場を取り、事実を客観的に伝えるだけ。事件をどう捉えるかは、読者や視聴者に委ねられるため、大抵の人は事件について「酷い」「惨い殺人だ」と口にし、眉間にしわを寄せ、犯人を憎む。社会の常識的な話だが、私はこの流れに疑問を持っている。


それは、語られる事実によって物事の全てを判断してはならないと考えるからだ。己が実際に見ていない出来事なんて、全てフィクションではないか。信じられる情報など、私がいま在るということ以外、なにもないのだから。警察の発表すら、全て嘘かもしれない。だから、ニュース、いや、全ての情報を、いつも話半分で聞くように私は心掛けている。


殺人事件の話で言えば、もしかすると、「あの時あんな出来事がなければ、殺人は避けられたかもしれない」なんてドラマが裏にある可能性だってある。それを知ったら、「犯人は酷い」としか思わなかった読者も、「仕方がなかった出来事だから、犯人は少しだけ可哀想」と考え方を変えるかもしれない。そうしたら、(殺人を犯してしまったのだから、犯人は罪を償う必要は勿論あるけれども)避けられたかもしれない殺人にも関わらず、判断を誤った自分を責め、戻らない死者を思い嘆き、多くの人から非難されてどこにも味方がおらず、絶望の淵にいる犯人を、ほんの少しだけ救ってやれるかもしれない。犯人には、罪を逃れる権利なんてものはないが、救われる権利なら、少なからずあるはずだ。


ところで今後の社会について、「SNSによって情報が爆発し、ガラス張りみたいな社会になる」とある人が言っていた。今は検索すればある程度のプロフィールが分かるくらいだが、いずれ趣味嗜好はもちろん、過去も経歴も交友関係もスキャンダルも、ネットで確認できる世界になる。そして、公開された情報が“全て”になる。


そういう未来が来た時、語られた事実だけを信じるような人ばかりだったら、誰も救われないと思う。語られる事実しかない世界だったら、誰も救えないと思う。そういう世界は嫌だから、どうにか突入しないようにしたいと強く思う。今のところ、語られなかった真実を描き伝えることのできるのは、嘘の物語を書くことの許された作家だけだと思う。だからーー。ここのところ、小説ばかり読んでいる。


事実では語られない物語の中に、本当のことがある。けれどもそれは、裏の取れない情報だから、想像することでしか見つけられないし、信じることでしか輪郭を現さない。報われなかった主人公というのは、作家が書いた物語を、読み手が書き手とともに想像し、更に書き手を信頼することによって、真に救うことができるのだ。


アーヴィングを読むようになって、本当に良かったと思う。