話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

「映画でも観ようか」という提案は、軽い口調なわりに、ヘビーな内容だと思う

なぜなら、これから1〜2時間、映画にも、誘ってきた相手にも縛られることになるからだ。物語を止めることも、相手を置いてその場から出て行くことも出来ない。脱出不可能な時間が始まる。誘いに乗るからには、意を決して臨まなければならない。

 
 
そう身構えるのは、映画に苦手意識を持っているからかもしれないと気がついた。かつて小説を読むのが苦手だった時も、ほとんど同じ理由で嫌煙していたのだ。
読むのに時間が掛かるし、読了後に満足が得られなかった場合の喪失感を考えると、とても気が進まない。教材や文献なら、途中だけかいつまんで読んでも得られるものがあるから良いが、小説は読み切らねば何も得られないのが辛い…なんて長らく思っていたが、あっさり苦手を克服できた。
 
 
それは、とにかく何でも読みまくることに加えて、ストーリーに気乗りしない時の2つの対策を考えついたからだ。
ひとつは読むのをやめ、別の小説へと移る方法。「本に呼ばれた時に、また読めばいい」などと都合のいい言い訳をつけて諦めると、後ろめたさを感じないので、ストレスが少ない。
もうひとつは、いわゆる「ネタバレサイト」で結末を確認してから、展開するストーリーに合わせて踊るテキストの様子だけを楽しむ方法。“作家”の演出による言葉のショーが始まり、だんだん楽しくなってくる。
映画についても、この手法で克服できると気づいてからは、週5本は映画を観れるようになったし、他人と映画を観るのが苦でなくなった。今やジャンルを問わず小説を読んだり映画を観たりできるので、多様な知識や感覚を得られることができ、生きるのがより楽しくなった。
 
 
ところで、ネットを使えばプロローグからエピローグまでを瞬時に確認できるこの時代、何時間もかけてストーリーを追う読者や鑑賞者は、今や希少な存在なのではなかろうか。私はこれについて、当然の成り行きだと考えている。
ネット時代の人々は、過剰な情報の中から価値の高い物を求めて瞬時に見極めなければならない。そのため、最初から最後まで時間をかけて作品を見ていると効率が悪い。ネットのサイトや動画には「離脱率」という指標がついてまわることから分かるように、不要な物や無駄な時間をすぐ切り捨てにかかるのは、今の時代当たり前のことなのだ。
 
 
また、日本におけるネットの動画配信は、オンデマンド版なら10〜20分、生放送なら1時間程度が限界などと言われている。しかも、その間ずっと視聴しているわけではない。仕事や家事にSNS、何かやりながら片手間で見ている人がほとんどだろう。
そんなモチベーションで作品に向き合う人達に対して、作り込んだストーリーを長時間じっと見せつけるという手法は、結構遅れているかもしれないと、この頃考えている。
 
 
好きな映像作家が居る。仕込みiPhoneで知られる森翔太さんだ。口ロロの「ふたりは恋人」のミュージックビデオなどを手掛けている。彼自体も、映像作品も、見た瞬間に大好きになった。昨年インタビューをする機会があったので、どのような気持ちで映像制作に取り組んでいるか、聞いてみた。
すると彼は「いつどのタイミングで見ても、面白い映像を作ろうと思った。ストーリー性の強いものは見ている人にとってハードルが高いから」と答えてくれた。私は、彼が未来に生きているのを確信するとともに、彼をもっと好きになった。(仕込みiPhoneのほか、森さんが携わった幾つかの映像作品は、今年度の文化庁メディア芸術祭において、審査委員会推薦作品に選ばれている。)

 
 
作品もユーザーも、いつ現れていつ消えるか分からない。ネットの中では、形やストーリーなんて関係ない。リズムと概念だけが、運動するように媒介する。それを感覚だけで共有する。感覚的に強く感じられるものだけが、残って行くのだろう。
ーーそんなことを考えながら、眠りにつく。そう言えば夢は、いつ見ても、ストーリーがめちゃくちゃでも、どこから始まってどこで終わっても面白い。夢は最強のエンタテインメントだなあと思う。