読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

「今まで何人と付き合ったことがある?」

「今まで何人と付き合ったことがある?」の言い合いは、恋仲になり始めた男女においてお決まりのやりとりのようだ。

 
大抵は、過去を知り合うことで互いを認め合う、なんて名目でされる質問だ。愛に溢れた問いのように見えるが、実は裏ではシビアな人格検定がなされている。
 
なぜなら答えられた人数が少なければ誠実で、多ければ浮気者といった具合に、目安の値が設けられているからだ。これって、過去の罪歴から今後の犯罪率を予測するのと、同じ構造じゃないか。
 
しかも、質問に隠された裏の意味合いについて、質問者も回答者も自覚的であり、答えられた人数によって人格が問われるのが「暗黙の了解」となっているのが、また嫌な感じを増長させる。
 
 
ところで、お決まりの文句には、お決まりの返しが付き物だ。日本人なら「山」と言えば「川」だし、「でもお高いんでしょう?」と聞かれたら「ところが奥さん」と応えるに決まっている。ちょっと違うか。話を戻すと、「何人と付き合ったことがある?」には3〜5人くらいで返すのが無難な答えらしく、多くの人がそう答えているようだ(Yahoo!知恵袋や、恋愛のハウツーメディアなんかを調べると、そんな数値が沢山でてくるし、友人や知人からは「普通そう答える」という話も聞く。とはいえ、本当かどうかは分からない)。
 
 ここまで書いてきて、ふと、疑問が湧いた。数値が真実であるにしろ、虚偽であるにしろ、3〜5人と答えるべきと多くの人が知っているのであれば、逆に、そう回答されることも分かっているはずだ。じゃあ何故あえて、そんな質問を?
 
私が出した仮説は、「むしろ分かっているから質問をする」だ。そもそもの質問の目的「尋問」を超え、典型的な質問と回答のやり取りをすることそれ自体によって、仲が深まる。しかも無意識的にやっているところがある。会話の内容よりも、会話することに意味があるのかもしれない。
 
 
昨年公開された、米国に住む、高齢の芸術家夫妻・篠原有司男と乃り子を追ったドキュメンタリー映画「キューティー&ボクサー」にも、「会話の内容よりも、会話することに意味がある」を感じられるシーンがある。
 
映画は、20歳以上年上の現代芸術家の夫との波乱に満ちた結婚生活を、妻の乃り子視点で描いている。アルコール依存症の夫は、家事も育児も手伝ってくれないうえ、浮気をするし、稼ぎも少ない。それでも乃り子は献身的に、夫を支えてきた。なぜなら、有司男を芸術家として尊敬しているし、夫として愛しているから。そんな愛と憎悪に満ちた夫婦生活を、フィクションとしてコミカルに振り返る漫画「Cutie & Bully」を、乃り子は画家として制作し始めるーー、といったストーリー展開になっている。
 
該当のシーンは、夫婦でインタビューされる際の会話にある。乃り子はひどく疲れた顔をして、有司男との暮らしについて振り返りながら、「この人は本当に酷い。私が便利だから嫁にしただけで、そうじゃなかったら私を捨ててるはずよ」といった内容の愚痴をカメラに向かって永遠とする。少し沈黙した後、有司男は乃り子に「Cutie hate Bully?」と、彼女の描いた漫画の登場人物になぞらえて問う(Cutieは乃り子を、Bullyは有司男を指す)。すると乃り子は声を大きくし「No. Cutie Loves Bully!」と笑いながら、有司男に身体を向けて答える。少しだけ有司男の体を触る。そして有司男は、はにかむような微笑みを返す。
 
話の内容だけに着目すると、矛盾したやり取りなのだが、声のトーンや、体の動きを見ていると、不思議と腑に落ちる。乃り子に惨い愚痴を散々聞かされた上でも、なんだか暖かい気持ちになれる。彼らは夫婦喧嘩をしているのではなく、ただ過去を振り返りじゃれあっているだけなのだ。たとえ話の内容が酷かったとしても。
 
彼女の描く「Cutie & Bully」が、壮絶なストーリーでありながらも、どこか笑えて救いがあるのにも、その思いが伺える。「話の内容よりも、話すことそれ自体に意味がある」に違いない。まあ、熟年夫婦だからこそ出来る会話だし、作れる漫画なのだろうが。
 
 
ついでに私の話もしておくか。私は好きな人に、過去の恋人の数を自分から問うたことがない。同性の友人にさえも聞いたことがなかったと思う。もっと言うとあらゆる「今まで」について、あまり積極的に触れない。それは他人に興味関心がないためでは、と指摘されたら否定はできないのだが、他人の過去に自ら踏み入る気にはとてもなれない、というのが言葉にするなら正しい心情である。過去と未来に地続きな今そこに在る人間を、そのままに認めたいという思いがある。ある種、今の自分を肯定するためのエゴイズムでもあるのだが。
 
例えば罪を犯していたかもしれない。酷く辛い過去があるかもしれない。それでも今笑顔でいられるならば、特にそれについて進んでほじくり返す必要はないと考える。それに、罪の有無を問うた後、「罪があった」と言われれば「どんな」と聞きたくなる。事の内容が話されたら「他には」と詰め寄りたくなる。そんな会話を経て、金輪際笑い続けられるのなら話をするべきだが、少しでも哀れに思うくらいならやめた方がいい。
 
しかも所詮、他人に語られる過去の出来事は「まぼろしのイメージのなか」だ。本当か嘘かなど、自分で体験していないのだから分からない。それに纏われて居心地悪く生きて行くのは「まったくだせー」と思う。ああ、またハイロウズの曲の話になってしまった。
 
まあだから、万一「今までーー」と聞かれることがあったら「3〜5人」と無難に答えておこうかな。裏打ちされた言葉の意味をなぞるようにして。会話それ自体を楽しむようにして。