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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

餅は餅屋で買い、映画は映画屋に聞く

餅は餅屋ということで、批評や解説はなるべくやらないようにしている。感想ばかりを綴る書評や、出来事中心に連ねる日記も書かないようにしている。

 
ではお前はなにを記しているんだと言われれば、たぶんこれは日本的なエッセイである。事実や経験をベースに、その時の叙情性を散りばめて自分だけの文章を書く。他のだれにも弾けないジャズを即興でやるように。
 
 
とはいえ捻くれ者の性なのか、批評家でもないのにどうしても、批評的な目線で普段生活をしてしまっているところがある。
例えば映画なら、作品そのものについて、ただそれだけで楽しむことが出来ない。凄い!かっこいい!泣ける!なんて、表面的に気持ちが高ぶるだけでは満足しえない。
どんな監督がどんな思いで作ったか、キャスティングに撮影地、設定や言葉の言い回し、小道具に至るまで事細かく知ることによってやっと満たされる。美しい裏打ちは、あればあるほど良い。実に面倒な感性だと自分で思う。
 
 
先日、映画解説者の中井圭さんが主催する映画の試写会「映画の天才」で、中国の恋愛映画「映画『So Young~過ぎ去りし青春に捧ぐ~』予告編 - YouTube」を公開前に見ることができた。
So Youngは「少林サッカー」などで知られる美人女優ヴィッキー・チャオの初監督作品で、舞台は90年代の中国、寮生活を送る建築学生たちの人間模様を描いている。経済成長という時代に翻弄されながら、文化的、人間的に生きる難しさも表現している。
 
正直初見の感想は良くなかった。遠く離れた思い人に胸を痛めるシーンに共感し、中国人ならではの恋愛観には人種の違いを見て面白かったが、裏打ちされた設定の繋ぎが甘いように感じ、物足りなく思った。ヴィッキー・チャオの監督としてのキャリアが浅いがゆえの、仕方のない欠陥かもしれない。
 
しかしながら、作品への満足度はそれほど高くないものの、各シーンを振り返ってみればみるほど気になる箇所がでてきてしまった。なぜ登場人物らは、労働者階級をあんなにも脱出したがったのか?(おそらく)日本製の時計を好きな女性へのプレゼントに選んだのか?愛よりも成功を選ばなければならなかったのかーー。
作品に事細かな設定があるような気がしても、その意味や理由が分からない。考えれば考えるほど正解が見えてこない。知らぬ間に頭の中はSo Youngでいっぱいになっていた。
 
 
やはり餅は餅屋である。鑑賞後に配布された映画解説を読んだ後には、謎は解決されて疑問は腑に落ち、作品としての完成度云々はどうでもよくなるほど、その魅力に引き込まれていた。中井さんにいっぱい食わされたとでも言うところだろうか。
So Youngを見れば、90年代の中国とは何かを知ることができる。なんだかんだ、恋愛映画としても悪くない。過去の恋の美しいノスタルジーに浸るのは、石川啄木の初恋を読んだ時から私の嗜好である。実に私好みの作品である。
 
 
So Youngは9月13日より新宿シネマカリテなどで上映される。また改めて見に行こうと思う。