読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

死にたくもないし、生きたくもない

割と酷い骨折で入院していた。世話になったのは、いかにも何か“出そう”な古い大学病院だ。泊まっていたのは、8つのベッドが押し込められるように2列に並んだ狭い病室で、右の列の手前から3つ目が私の寝床だった。鉄パイプにせんべい布団を1枚載せただけのようなベッドであった。年末に2週間と、昨日までの3日間滞在した(春には病院が新しく作り変えられていたので、後期の入院生活はかなりマシであった)。


入院生活は毎日同じことの繰り返しだ。6時起床。看護師がやってきて、体温と血圧を計っていく。加えて朝のみ、排便、排尿のチェックのほか、身体を蒸しタオルで拭いたり、髪を洗ったりしてくれる。そうこうしているうちに朝ごはんが運ばれてくる。味の薄い蒸し料理や煮物が中心だ。とても旨いとは言えないが、食べられないものではない。食事を終えるころ、下膳と食後の薬を与えに看護師がやってくる。その後、担当医師が来て患部を確認する。続いてリハビリの療法士と回復状況の確認。ひと息つくと、もう昼ごはんが運ばれてくる。朝ごはんとそう変わらない内容だ。同様に下膳、薬。医師、療法士、夕ごはん。下膳、薬。体温、血圧。10時には完全に消灯する。毎日決められた時間に、決められたことをやる。

変わらない毎日は退屈だ。同室の患者は長期入院を予定しているおばあさんしかおらず、メンバーが変わる気配もない。変化するものといえばご飯くらいで、大して旨くもない病院食の、毎度変わる献立が、違う日、違う時間を生きている証に思えてくる。
脊椎カリエスを患い、上半身しか動けなくなった晩年の正岡子規が「仰臥漫録」で、食事の内容と窓から見える景色の記録ばかりを淡々と書き続けていたことにもなんだか頷けてしまう。そして、ゴツゴツと劣悪なベッドの上にいると、固い床に伏して痛みに耐える時間がどんなに辛いことだったか、心の底から共感と同情をする。ただ、私の寝床からは窓が遠くて空を見られず、天井くらいしか目をやる場所がなかったので、窓から季節の移ろいを見届けられた子規が少し羨ましくも感じられた。


他人に命を委ねる毎日を続けていると、だんだん自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなって来る。誇張だと言われるかもしれないが、本当にそう思った。食事にトイレに風呂、ほとんど全ての行動や空き時間さえも、誰かに管理され、大きく制限されていると、生きた心地がしなくなる。誰かに生かされている気がする。もう、死にたくもないし、生きたくもない。自ら生きようとするパワーが奪われて、抜け殻のようになってしまう。

そんななか、見舞いに来てくれる人や、連絡をくれる人がいたのが救いだった。病院内の世界と現実世界とを唯一つないでくれる希望に思えた。夕暮れの波打ち際に佇む私に、ひと声「そろそろ帰ろうか」とかけてくれる母親のような、頼りがいや優しささえ覚えた。
波打ち際は、寄せては返す波にさらされる、安堵と心もとなさの共存する場所だ。そこへ身を任せているのは心地がいいけれど、ずっと居座ることはできない。陸か海か、どちらかへといつかは行かなければならない。同様に、病院という波打ち際には永遠に留まれないし、生か死のいずれかへ進退を選択しなければならない。
見舞いや連絡をくれた彼らだけが、「死にたくもないし、生きたくもない」なんて鬱々とした気持ちになってしまった私を、いつも生へと誘ってくれた気がしている。心から礼が言いたい。


さて、そんなわけで退院しました。今では良い体験をしたと思っています。まだまだ知りたい知があるし、たくさん食べたいものがあるので、今後は入院とは縁のないような毎日を、長く続けられればいいなあ。