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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

空想と現実とを繋ぐ乗り物と、「RAPID COMMUTER UNDERGROUND」

乗り物に乗ると、どこかへ行ってしまいそうな気分になる。いや、乗り物に乗るんだから、どこかへ辿り着くのは当たり前なのだけれども、そういうことではない。例えば、東京から新幹線に乗ったんだから、東北だとか関西だとかに到着する、といった単純な話ではない。

どこか。最もらしい言い方をするなら、おそらく「ここではないどこか」である。また、予め断りを入れておくと、これはフィクションであり、たぶん殆どの人にとって理解できない話をする。


幼い頃、遠くを見つめるのが好きだった。小学校の屋上から見る空や、山間にある深い谷底なんかの景色を好んで眺めていた。何時間でも、視線を注ぐことができた。そこに何かががあるからというわけではなく、むしろ何もないのが良かった。物理的に移動はしていないけれども、「ここではないどこか」へ行っているような感覚になった。

ここではないどこか。そこは、他の誰にもに邪魔されない、自分の考えていることか、それ以上しかない世界で、今生きていることすら忘れてしまうほど、自分が感じている真実について、夢中になれるような空間だった。そこでは、閉じた瞼の向こうの空想世界を、自由に飛行している気分になれた。


けれども、大人になってしまったからか、高層ビルが乱立して、何もない空がなくなってしまったからか、忙しくて山間に行かなくなってしまったからか。遠くを眺めても、あの頃のような体験は、あまりできなくなってしまった。

空想の中を飛行できない現実世界に待っているのは、労働、あるいは、他人とのかかずらいくらいしかない。まあ、そんな現実は現実で面白いのだけれども、何かが足りない。単純な市民生活、怠慢な地上生活は、人生への絶望に続いているような気がして、少し怖かった。


ただ、いつだったか、取材か何かで展示会へ行かなければならない時、東京駅丸の内南口から「ビッグサイト」へ向かうバスで、久々にあの飛行体験をすることができた。有楽町、歌舞伎座勝鬨橋東京湾。窓の外に展開する景色が、頭の中のグラデーションとリンクして、現実世界が瞼の裏の世界と同化した。

以来、乗り物に乗れば、ここではないどこかへ行けるようになった。おそらく乗り物の速度が、時間感覚と重力から、私を解き放ってくれたのだと思う。きっと幼い頃は、何にも囚われていなかったから、簡単に空想世界へ移動することができたのだろう。


ところで、普段はサラリーマンをしている作者が、地下鉄での通勤中に描いているという漫画「RAPID COMMUTER UNDERGROUND」は、「妄想と現実のあわいを走る地下鉄」を舞台にしている。これを読めば、上記で話したことが、少しだけ理解してもらえるかもしれない。しかしながら、この漫画で描かれている内容も、全てフィクションである。