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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

「年内にやっておきたいこと」

12月。今日から始まるこのひと月で、今年が終わるというのに、余り惜しさや刹那を感じないのは、不思議な気分だ。まあおそらく、まだ気温が暖かいから、その事実に向き合えていないだけなのだろう。

 

季節の移ろいは、時間の経過を教えてくれる。自分がまたひとつ歳を取っていたのを、思い出させてくれる。そんな気分の時に、鼻から吸った息をキーンと冷たく肺に感じれば、冬の訪れを体の芯からも実感できる。

しかしながら、老いや寒さは命の終わりを自覚させるので、急に寂しい気持ちになる。そういえば明日からは、グッと気温が低くなるそうだ。用があって行く予定の場所には、イルミネーションが飾られているだろう。冬は、寒さで空が澄んでいるし、夜の街は煌びやかで綺麗だが、前にあげたような残酷な一面も持っている。もしかすると、明日の今頃この時間、私は寂しくて人恋しくなってしまっているかもしれない。

 

12月は、クリスマスのある月でもある。と言ったところで、そう特別な意識はない。気づいたら終わっている年ばかりである。クリスマスプレゼントについては、親に貰ったり、恋人や友人と交換をしたことがあるのは覚えているが、物自体については殆ど記憶がない。

クリスマスにプレゼントを贈り合うという文化に、あまり馴染めない。世の中に売られているものについて、大抵私の欲しいものがないからでもあるが、もっと大きな理由がある。世の中にあるものをそのままにあげたり得たりするのは、物をあげ与える人と人との間に一切のストーリーがなく、形式的に物体を交換、ないしは移動させているだけのように感じられてしまい、もの寂しさを覚えてしまうためである。

そんな思想を象徴するような思い出がある。10年ほど前のクリスマスの夜遅く、仕事でいつも忙しく殆ど相手をしてくれない父が、私にネックレスを買って来てくれたことがあった。その時私は「ただ高価で綺麗なものを貰っても全く嬉しくない」と言って、突き返してしまった。普通は喜ぶべきことなのだろうが、私はどうしても喜ぶことができなかったし、むしろ怒りさえ湧いてきてしまっていた。今では悪いことをしたなあと反省はしているが、根本的な意識は変わっていない。

私にとってクリスマスは、そうやって、世間や他人の感覚との差異を感じる、少し寂しいイベントでもある。忙しい中限られた時間でプレゼントを選び、お金を使ってくれたことに感謝する気持ちもある。気難しすぎる性格も自覚している。だが、やっぱり特別な人からは、物体という事実だけを提供されたくないのだ。そんな動作をするだけなら、相手は誰でもよくなってしまうのを考えると、辛くて仕方がなくなる。だからクリスマスプレゼントについては、覚えていないというか、自分以外の人の気持ちが理解できずに哀しくなってしまうので、無意識に忘れておくようにしているのかもしれない。

 

クリスマスにプレゼントは求めないけれども、美味しいものを食べ、楽しい時間を過ごしたいという思いはある。ハンバーグにシチューだとか、母がいつもより手を掛けてくれた美味しい料理を食べて、テレビの特番を家族で一緒に夜更かしして見、他愛もない話を永遠しているだけで、なんだかとても満たされた気持ちになった記憶があるからだ。あんなに幸せな時間は、一年のうちでも中々ないだろう。出来ることなら毎日そう過ごしたいし、それが叶わないのならクリスマスだけでもそうしたい。

ひとりで過ごすことの多かった今年一年、「年内にやっておきたいこと」といえば、特別に思う人と、美味しいものを食べて、その人としか出来ない会話をするという、極シンプルなことなのかもしれない。今年やり残していることといえば、それくらいだ。

グッと寒くなるという明日が来る前に、人恋しくなっている自分に気づき、少し恥ずかしくなってしまった。

 

 

今週のお題「年内にやっておきたいこと」〈2014年をふりかえる 1〉