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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

季節感のない四季と、重力のない季節

都会に住んでいると、季節を感じる機会が少ない。

 
例えば近頃は、街に落ち葉が減った気がする。昔は寒い家に暖かい日光を当てるため、街路樹には落葉樹を使うのが主流であったが、今では緑を増やすためだとか、片付けるのが面倒だとか歩行の邪魔だとかで、葉っぱの落ちない常用樹の方が好まれているのがその一因だろう。
 
私はこれまでずっと、街路樹の葉の色が変わるのと、抜け落ちて行くのとに季節をしみじみ感じていたのだが。今は秋から冬への移ろいが分かりづらい。最近の子供は、下校中にイチョウの木を見上げ、この葉が落ちる頃には冬休みがやって来る!なんて胸躍らせる感覚を持っていないのだろうか。
 
街路樹に付けられているイルミネーションにも、あまり季節感がない。てっきりクリスマスシーズンのものだと思っていたら、11月頭から梅が咲く頃まで飾られていることがしばしば。寒い間は取り敢えずあるもの、それがイルミネーションである。これじゃあ最早何のために街を彩っているのか分かりゃしない。
 
 
現代は、季節によって街や生活にそう大きな変化が訪れない。季節感のない四季に残っているのは、暑いか寒いかの感覚くらいだろう。
けれども、地下鉄やビルや街を繋ぐ屋内の通路を使えば、外に出ないでも出かけられるので、暑さ寒さを感じずに過ごすことも容易い。寒暖の差さえも、その存在の存続が危うくなっているかもしれない。 
 
食べ物だって、大抵のものはオールシーズン食べられる。だから態々旬のものを食べる必要もない。エアコンがあれば、暖房に切り替えて付ければいい。倉庫からストーブをひっぱり出して、灯油を買いに行かなくても良い。年末年始だって、誰かが言ってくれなきゃ浮かれ気分になれなかった。気づかずそのまま働いていたところだった人も、多いはずだ。
 
こうなってくると暦くらいしか、季節を教えてくれるものとして、残っていないふうに思えてくる。1月から12月までが、春夏秋冬が、ただの時間の経過にならないで欲しい。重力のない季節に危機感を感じていた。
 
 
そんななか、昨日の朝の空は教えてくれた。友人が先に気が付いた。冬の乾燥した空は、水蒸気が少なく、夏よりも高さがある。どこまでも広がる、その澄んだ青空を見上げて、「年始の朝の空の顔をしているね」と彼女は言った。やっと私にも今年が訪れた気がした。