話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

貴方にとっての運命の恋人、それは、私にとっての鰻のことである

今週のお題「今だから言えること」
 
出会ってから今まで何とも思っていなかった人が、突然自分にとって重要な存在になることがある。それは、貴方にとっての片思いの相手や運命の恋人、仕事の相棒のことであり、私にとっての鰻のことである。
 
私が鰻と初めて出会ったのは、4、5歳の頃、近所の鰻屋だったと記憶している。あの頃の私には、鰻の旨さも良さも分かるはずもなく、鰻よりもたれのかかった甘じょっぱいご飯目当てにうな重を食べていた。
 
何と無く高級な食べ物であるのに多少の有り難みは感じていたが、特に好きな食べ物というわけではなかった。それに、母親が鰻嫌いだったので、殆ど顔を合わせる機会がなかった。それから二十数年後、運命的な再会を果たすことになる。
 
月日が経って私はすっかり飲兵衛に育ったわけだが、飲兵衛にはありがちな、酒を飲むためだけの友人ができた。居酒屋は勿論、蕎麦屋に寿司屋、お酒のあるところにはどこへでも行ったが、ある日その友人が、「鰻で(酒を)やろう」と珍しいことを言ったのだ。その一言が、すべての始まりとなった。
 

鰻といえば、うな重とのイメージを持っていたので、「酒飲みがたらふく白米なんて食べられまい」と一瞬不安がよぎったが、彼は大事な酒の友である。お酒に関しては最も信用できる。ひとまず「行こう」と返事した。

 
向かった先は新宿の歌舞伎町。風俗だとか今話題のぼったくり居酒屋だとかの並びを抜けると、この辺りに似つかわしくない、趣ある二階建ての日本家屋が突如現れた。少し開いた窓からは、甘じょっぱい匂いが溢れている。外観を眺めているだけで「なんだここは…」とぽーっと惚れてしまいそうな雰囲気だ。旨い酒が飲めることを確信する。
 
少しでも不安に思ったことを友人に詫びたい気持ちになりつつも、引き戸をガラガラと開けて中に入る。焼き場と向かい合わせになったカウンターの席に通される。焼き鳥屋のような作りの店内だが、目の前で焼かれているのは確かに鰻であった。見たこともない光景に、目を丸くせずにはいられなかった。
 
さらに驚いたのはメニュー表。てっきり「鰻」という名のつくものが並んでいるかと思っていたが、「八幡巻き」だとか「短尺」だとか、知らない料理のオンパレードである。何が何だか分かりゃしない。友人のなすがまま注文し、食べてみることにした。
 
 
その時食べたもの。例えるならば、鰻のフルコース。ストーリーと抑揚があって、何から何まで旨かった。
前菜には、きゅうりの酢の物に鰻の蒲焼きが入った「うざく」を頼んで、胃の調子を整える。その後は、深めの器に注いだとろろに蒲焼を入れ、ウズラの生卵を落とした「うなとろ」をスープのように啜る。2品とも意外な食材との組み合せだが、実に鰻にも酒にも合う。
 
メインディッシュは鰻の串焼き。まずは塩から。肋骨の辺りの「ばら身」は脂がのっており、鰻をさばく際に出た切れ端部分を串刺しにした「くりから」は、ふっくらジューシー。山葵を少し載せると、鼻に抜ける刺激が淡白な旨味を引き立て、さらに美味しくなる。
 
続いてたれ焼き。どんな食事においても、段々と濃い味、ボリュームのある料理に移るのは必ず守るべきセオリーだ。
濃厚な肝臓の「レバー」に舌鼓を打った後は、あらゆる内臓を集めた苦味のある「肝」をちょっとずつ食べる。こうして鰻の内臓の串焼きを食べ分けるのは、ちょっと通な遊びのような気がして、なんとも言えぬ嬉しさがある。
十数匹の鰻の背びれの肉を寄せ集め串で打ち、ニラでぐるぐる巻きにした真っ黒い棒状の「串巻き」は、脂のあるとろりとした身の舌触りと、ニラに染み込んだ甘辛いたれが相まって、もう最高だ。ここまでで瓶ビール3本、日本酒2合は開けているだろうか。
 
最後の〆は、無論「うな重」であるのだが、これを行くか行くまいかが悩みどころ。なぜなら、ここまででお腹はかなり膨れているうえ、あまりの旨さに運ばれてすぐたいらげてしまっているため、大抵1時間ほどしか経過していない。しかも白米はお腹にたまり、長くお酒を飲むのには避けた方がいい。
友人は「そういう時はご飯を厚み1cmだけ盛ってもらうと良い」とオリジナルのオーダー方法を自慢してきたが、とは言っても、鰻の蒲焼きだけでも腹が膨れるのでその時はやめにした。やっぱりご飯は食べられなかった。それでも、大満足である。
鰻は美味しいし、雰囲気もあるし奥深い。しかもお酒に合うときた。私は鰻に骨抜きにされてしまったのだった。
 
 
それからというもの、週に一度、いや、ほとんど毎日鰻が食べたくなる。ただ、そう気楽に食べられる値段ではないので、思いは募るばかり。でも何もしないではいられない。
 
そのうち、鰻を食べられない時間は、鰻の店や鰻料理、鰻の生態系、鰻のあらゆることについて調べるようになった。思えば昨年の「食べログ」の検索ワードやグルメブログで閲覧するエントリーの殆どは鰻に関するものであったし、鰻の本もよく読んだ。お金が入れば、近場や旅先、行く先々で鰻ばかり(とは言っても控えめに)食べていた。
 
 
調べて知ったことというと、分かりやすい所では、地域による調理法の違い。江戸は蒸しが入るのでふっくらしているが、関西は蒸しが入らないので焼き目がしっかりついてパリパリとした食感になっている。さばくのにも縁起を担いで、江戸は背開き、関西は腹開きと違ったりする。
 
京都には色んな鰻が揃っていて、錦市場では関西風が、祇園では江戸風が、七条では「鰻雑炊」が食べられる。これは谷崎潤一郎の「陰影礼賛」にも出てくる。名古屋は「ひつまぶし」があるし、福岡には、鰻を載せたご飯に錦糸卵を散らしてせいろで蒸した「せいろ蒸し」なるものもある。
 
 
また、鰻は尊い。温暖化や乱獲による、個体の減少を理由にした高級さという観点以外からも、尊さを語ることができる。

例えば、彼らは生まれてからずっと、どこかひとつの場所に滞在していることがない。潮の流れに乗って、ゆらゆら旅をし続ける。進む先は、次の海であったり、次の川であったりする。
 突然巻き込まれた潮により、悪い方へ向かってしまっても、その先に漁船があろうとも、後戻りせずにいつも通りゆらゆら進む。たとえ、そうすることで、死期を早めてしまうとしても。
まるで無常を理解しているかのような、高徳さがある。そして、その生態について、多くのことが解明されていない神秘性も持ち合わせている。高級というよりも、高貴という言葉が似合う気がする。
 
 
現在、ある種類の鰻は、絶滅危惧種として指定されている。にもかかわらず、横行する密輸や密漁のお陰で格安の鰻が食べられたりする。偽物が出回っているとの話もある。
 *1
 
つまり、こんな尊いうえに旨い鰻を中長期的に食べ、いや、生かし続けるためには、食べ過ぎちゃあいけないし、この事実を皆が理解しなければならないのだ。私にとって、日本や世界にとって、鰻は大切にしなければならない存在なのである。

 
今まで、好きな人やものについて具体的に語るなんてのは、色気も品もないので避けてきた。好きだから、なるべく語らないようにしていた。心の中で大切に留めていた。だから「鰻は美味しいから好き」と、それだけ言えれば満足していた。けれども本当は、鰻のことを考えれば考えるほど、知れば知るほど好きになるし、大切にしたくなる。

今週は、はてなブログもこんなお題だしということで、思い切って公にしてみることにした。貴方にとっての運命の恋人、それは、私にとっての鰻のことである。

*1:(もしどこか間違ってたら、ごめんなさーい!)