読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

気になって仕方がない

一度意識すると、何故かその物事の情報ばかりが目に付くようになる。

例えば、落ち込んでいる時に異性の同僚が優しい言葉を掛けてくれたとする。そして「あんまり話したことなかったけど、いいやつじゃん」と好意的な印象を持ったとする。するとその日以来、何となくSNSでその人の投稿を頻繁に見るようになったり、気がついたらオフィスにいるその人の姿を目で追っていたりする。

 自分ではそんなに意識していないつもりでも、一度気になってしまったあの日から、殆ど毎日その人だとか、そのものだとかと接触している気がするようになる。どうしても頭から離れなくなってしまい、遂には何だか好きになってしまう。
 
 
私にとってのそれは今、「練り物」である。魚の身を擦り潰して纏めた加工食品のアレである。
中島らもの「ネリモノ広告大全 ごぼ天編」(双葉文庫)を読んだのがきっかけだ。この本は、中島らもが手がけた約200作の短い漫画と約100本の短いエッセイで構成されている。特筆すべき特徴は、内容のすべてが練り物にちなんでいる点だ。
 
どういうことかというと、漫画の登場人物には練り製品を製造販売する会社「かねてつ」のキャラクター「てっちゃん」とそのお父さんが用いられている。2人は、練り物会社の社長とその息子という設定で、漫画の中でお父さんは、かまぼこへの熱い思いを息子や友人に語ったりする。
 
そしてエッセイは、一見、世間話をテーマにした普通の文章なのだが、最後の数行のオチが必ず、カマボコや生ちくわなど練り物に関連している。例えば、冒頭が『フレッシュマンが街に溢れている』で始まれば、締めのオチは『フレッシュといえば、かねてつの生ちくわ』といった具合だ。こういう話が永遠と続く。
 
出てくる練り物の話は、カマボコや生ちくわなど単純な製品にまつわるものに限らない。ある時は洒落た話のオチに横文字で「シーフードデリカ」と登場したり、時には「健康のために摂取すべきは良質な魚のタンパク質」とライフスタイルの話に展開して述べられたりする。
 
いつもこんな調子の文であるため、共感できないオチに笑うだけで殆どのエッセイを読み終えるのだが、「やっぱり冬の鍋はおでんに限る」なんてまともなことをたまーに言われると、「そうだそうだ!」とつい賛同の意を表してしまいそうになる。寄せ鍋やしゃぶしゃぶの方が、おでんよりも好きだったはずなのに。
 
 
ページをどんなにめくっても、必ず練り物の話が出てくる本を読んでいると、生活の中の、ありとあらゆる練り製品に関係した物事に、どうしても意識的になってしまう。
 
何も知らない隣の席の同僚が、お昼にコンビニのおでんを食べていたり、駅のお土産売り場で「笹かま」を見つけたり、友人がブログでおでんが旨かったと書いているのを見つけると、何だかギョッとしたりハッとする。
それに、無性に「竹輪の磯辺揚げ」や「板わさ」を食べたくなる頻度が著しく高まった。最早“練り物過敏”状態だ。
 
これまであまり考えたことなかったけれど、私、結構練り物のこと、好きなのかもしれない。
 
 
実のところ、本著は読者にそのような効果を与えることを狙った広告なので、企画としては素晴らしい。だが、読んだ私はというと、大変迷惑してしまっている。
 
なぜなら、もうすぐおでんの季節が終わってしまうからだ。これだけ練り物のことを考えているのに、練り物がたくさん食べられる唯一の鍋・おでんを食べられなくなるのは大変困る(まあ、夏季もおでんの営業をやる店はあるにはあるけれど、おでんは寒い時期のが美味しいよな)。というわけで、どなたかおでんを一緒に食べに行きませんか?
 

今週のお題「これって私だけ?」