話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

ただ、時間が過ぎるのが怖いんだ/六本木「カファ・ブンナ」

六本木の喫茶店「カファ・ブンナ」でコーヒーを飲んでいると、彼から「今何してる?」と連絡がきた。忙しい彼からの誘いはいつも突然だ。「六本木でお茶してる」と返すと「一人?合流してもいい?」と言う。


「カファ・ブンナ」は六本木と乃木坂の間の住宅街にある。その辺りの住宅といえば、新しくて、綺麗で、洗練されていて――なんてイメージを持つし、そういうのが実際多い。けれども、カファ・ブンナの入っているビルは、“いかにも昭和”という感じの古い建物で、他とは印象が違う。年季が入っていて良い。

カファ・ブンナはそのビルの2階にあり、店の扉を開くと、赤茶色の長いカウンターの向こうから、年老いたマスターが迎えてくれる。
私はカウンターではなく、店の端のテラスの傍にある小さなテーブル席が気に入っていて、いつもそこにひとりで座っている。季節の光を感じながら、テラスにある植木を眺めたり、近くのオーディオから流れるクラシックを聴くのが好きなのだ。


彼が来た。「急にごめんね」と、向かいの席に着く。「ホットコーヒーください」と早々に注文するも、様々なメニューを揃えているのでマスターは困惑している。「私と同じブレンドにしましょうか。美味しいですよ」と私が言葉を添えると、「じゃあ、それで」と彼。

「混ざって大丈夫だった? ちょっと時間が有ったから、何してるかなって思ってさ。それに、この間飲んだ時、僕、仕事の話ばかりしてたでしょ? 帰った後悪いなと反省して、謝りたかった」
「いやいや」
「振り返ってみると、いつも僕ばかり仕事の話聞いてもらってるし、愚痴ってばかりだ」
「そうかな、そんなつもりはないよ」


マスターがコーヒーを運んでくる。近くへ寄るほどに香りを強く感じる。「ブレンドです」と、テーブルに置かれた真っ白なコーヒーカップには、マスターの趣味が表れている。
小ぶりだけれど、重みがある。持ち手は人の耳のような形をしているのだが、これがなかなか持ち易い。カップの表面に凹凸で施された模様が、繊細で可愛らしい。BGMにクラシックをかける、この人らしいチョイスだなと思う。

彼は運ばれて来たコーヒーを見て、「ちょっと小さいね」と小さな声で言い、ひと口飲んで「ちょっとぬるいね」と顔をしかめた。私は「そういうもんですよ」と笑った。


「そう、反省したんだ。それに、よく考えたんだ。そうしたら、だんだん辛くなってきた。来る日も来る日も仕事をして、仕事のことを考えて。実際忙しいのもあるけど、自らそういう生活を選んでる。
なぜかって、いざ暇ができると、何をしたらいいのか分からないんだ。だから結局仕事をしてしまう。一応達成感があるから、有意義な気持ちにはなるんだけど」
「悪いことではないんじゃないかな」
「幸せじゃないんだ。僕も君みたいに、小説を読んだり、一人で充実した時間を過ごしたい。喫茶店なんて本当久しぶりに来たよ。良いところだなあと思うし、自分でも色々行ってみたい。でも、ネットも電源もないし作業ができないでしょ。だから行かないの。
なんていうか、ただ、時間が過ぎるのが怖いんだ。怖くて、仕方がない。友達といる時は大丈夫なんだけど、一人でいる時間が無駄に思えてきて、仕事につながることをしなきゃ、意味のあることをしなくちゃって、焦ってしまう」
「そっかあ」


彼と話すと、決まって私とは別の生き物だなあという気持ちになる。ほとんど共通点がない。彼は本を読むとすればビジネス書ばかりだし、音楽はいわゆるフェス系というやつだ。みんなと盛り上がれるのが良いらしい。
それについて、虚しく感じるわけでもなかったし、違う世界に住む人と話をするのは面白いし、寧ろ今までそれで良いと思っていたけれど、今回ばかりは心苦しい思いになる。

苦しいのは、言葉を一つ一つ見ていくと、羨望よりも憎悪に似たメッセージを汲み取ることができるからだ。
おそらく、疲れ過ぎているために、私のような時間の過ごし方について、自分では好まないからやらないという意識だけでは、受け入れられなくなっているのだろう。ゆとりを持って暮らすのを、暗に否定されているような気がする。
もしかすると、私は彼の前から今すぐにでも居なくなった方がいいのかもしれない。けれども、私は彼が好きだ。元気になってほしい。


「このお店、私のお気に入りなんだ。店内は古いけど清潔感があって、テラスの植木はいつも綺麗に手入れされている。
挙げればキリがないんだけど、このいつも真っ白なコーヒーカップだとか、いる客に合わせたBGMだとか、隅々にまで気が行き届いている。それを、たぶんあの老齢のマスターひとりでやっているんだよね。客商売だから当たり前なのかもしれないけど、凄いなあって感心してしまう。

たまにマスターに勧められて、ここの名物のムースを食べるんだけど、この時期になるとベリーのムースを出してくれる。今日も食べてたんだけど、それがすごく美味しくて大好きで。

この店にいると、一つ一つの作業を丁寧にやることが、生活の中の些細なことに気を配るのが、自分にしか感じられない小さな喜びが、どんなに素晴らしいかハッとさせられる。過ぎて行く時間の中の喜びは、こういうところにあると思う」

しまった、と思った。言葉に出来る限りを述べてみたけれど、少し暴力的だった。自分の意見を並べただけだし、配慮が足りなかった。いつもの調子で、彼の努力を認めたり、相談に乗ればよかったかもしれない。けれども、今回に限っては、そんな対応では、彼を蔑ろにしてしまうような気がしたのだ。


「違うことを言ってしまったかな」
「いや、やっぱり君は僕とは違う生き物なんだと分かって、なんかスッキリしたよ」
「え? そっかあ」

余計項垂れさせてしまったかなと心配したが、意外な反応にびっくりした。さっきまで辛そうにしていたのが嘘のように、彼はなんだか晴れやかな顔をしてテラスを眺めている。テーブルの上のコーヒーカップは、気がつけば2つとも空になっていた。


「ムースが美味しいんだっけ」
「そう、ベリーのムース」
「すみません、ベリーのムースと、ホットコーヒーを2つ。ブレンドで」