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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

住みたい街、通いたい酒場

気に入って、長く住んでる街がある。惚れ込んで、よく通っている酒場がある。

そうやって暮らしていると、「どうしてその街に住んでいるの?」だとか「よく行くその店のほかにお勧めはある?」などと質問をよく受ける。答えているうち、私の住みたい街と通いたい酒場、両者の条件は同じだということに気がついた。条件は3つある。
 
 
1つ目の条件は、「年輪」があること。
年輪とは、丸太の渦巻き状の部分のことであるが、これを見れば、どんな経緯と共にその木が成長してきたかが分かる。街や店の年輪とは、これに例えて私が勝手に作った表現で、どんな歴史があったうえで、今その場に存在しているのかを、認識できる何かのことを指す。
 
例えば、街ならば、何処までも長く続く商店街や、休日は縁日で騒がしくなる神社の境内。店ならば、代々味を受け継いできた主人や、長年継ぎ足された秘伝のたれの存在。そういう、年輪を見つめることのできる、場所やもののあるところが好きだ。
 
 
2つ目の条件は、「夜」があること。
私が住む東京の、特に繁華街は、午前を過ぎても街は明るく、よく「眠らない街」なんて称される。それに、朝4時まで営業している店も多い。まるで、一日中太陽の沈まない異国のようだ。時折、時間感覚が狂ってしまいそうになる。
ハメを外して遊ぶには好都合だし、遅くまで活動をする人間にとっては、とても便利な土地である。けれども私は、夜に人は眠るべきだし、夜の音は静かで、夜の空は暗くあるべきだと考えているので、こういう場所にずっと居たいとは思わない。
 
それに、ちゃんとした夜のある場所の方が、生きた心地を感じている人が多い気がするし、生活や日常を大切にしている人がいる印象がある。私は、そういう人たちと暮らしたり、飲んだり、一緒に居たい(主に夜活動するような、活動しなければならないような、自らの理解を越えた存在を受け止めることのできない、幼い精神がそう思わせているかもしれない、との自覚もある)。
 
まあ、夜遅くにやってる店が沢山あったり、日付が変わる頃にお店をたたんでくれないと、終電に乗り遅れる確率が高まるし、毎日深酒してしまいそうで危ないというのが、この条件を求める理由としては一番大きいのだけれども。
 
 
3つ目の条件は、ちょうど良い「配慮」があること。
例えば、近隣の住民に、全く構われないのも寂しいけれど、構われ過ぎるのもちょっと面倒臭い。小津安二郎の映画に見られるような、通り掛かりの人間同士が「こんにちは」「さようなら」と掛け合う程度の人と人とのやり取りと、それに裏打ちされた信頼関係があればベストなのだが、これがなかなか見つからないし、築けない。
 
また、居酒屋では、ベロベロに酔った客に絡まれるのは当然不愉快だが、一方で、店が混んできても席を詰めてくれないような冷たい客ばかりというのも、ちょっと困ったものである。かといって、過剰なおせっかい焼きの店員が居るのも厄介だ。ちょうど良い配慮というのは、なかなか難しい。
 
 
若い女のくせに、昭和のオヤジのぼやきのような口調になってしまった。そういう街や店にいるうち、自然と染まってきてしまったのだろうか。とはいえ、私自身が心地いいと感じているんだから、仕方がない。
 
ここまで書いてみて、新たに気づいたことがある。住みたい街と通いたい酒場の条件は、私の在りたい人物像にも通ずるということだ。
年輪のごとく積み重ねた知識と経験を持ち、ハレとケを使い分け、適度な配慮のある人間になりたいと願う。
 
もしかすると、住む地域や通う酒場は、自分の憧れに似たものを無意識に選んでいるのかもしれないし、逆に、そういう場所に選ばれているのかもしれない。そして、住みたい街、通いたい酒場の似ている人とは、何となくだけれども、いつまでもうまくやっていけそうだ。そんなことをぼんやりと思う。