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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

ピアニストがピアノを弾くように、言葉を話したい

私は話すのが下手くそだ。はっきり言って吃り(ドモリ)である。吃りで、しかも、言葉に抑揚がない。

 
どんな吃り方かというと、頭で考えていることを、言葉にして口で発するまでにかなり時間がかかっている。なので、長く沈黙したり、回りくどい言葉を選んで話したり、「あー」とか「えー」とかよく言っている。
 
時間がかかる理由は、最適なアジェンダや言い回しを選んでいるから。たった一言の間違いも許されない。何度も書き直してやっと世間に公開される本や記事の文章のように、納得の行く表現がしたい。時間を稼ぎたいのだ。
 
そして、考えれば考えるほど、捻出した言葉をただ順番に発するのに集中してしまい、抑揚がなくなる。棒読みになる。それゆえ、会話の中相手には「心こもってる?」と聞かれたり、「感情が読めない」と指摘されたりする。
 
喋りが下手なのは仕方のない欠点ではあるけれども、そのまま放っておくわけにもいかない。大勢の前で話したり議論する時には、戦術的に話しの上手さが求められる。
それに、話す相手には少なからず自分に好感を持って欲しい。私と会話して楽しかったと思って欲しい。
 
そこで、もうずっと昔、小中学生の時に編み出したのが、会話の台本を作る戦法だ。どんな順番に何をどんなふうに話すかを予め詳細に書いておく。トピックは世間で話題になってる話から、自分や相手にまつわる話まで様々。
さらに、想定され得る、あらゆる相手の反応に合わせた返答の仕方まで、事細かに記しておく。
 
そうやって、普通の人は当たり前に脳内で瞬間的にやっている作業を、私は予め文字に起こす事でどうにかやってきた。割とそつなく喋れるようになる。
 
この台本は、仕事においては、想定される状況はある程度限定されるので、ほとんどの場合有用であった(識者と討論をしたり、インタビューや打合せをする際にこの準備力が生かされる事が多かった)。
 
しかしながら、好きな人や憧れの人を前にすると、嬉しくなって台本の内容が頭の中から飛んでしまったり、予想していない事が起きたり思い浮かんだりして、何を話せばいいか判断できなくなってしまい、台本を用意した意味がなくなってしまうケースが多い。
 
それで結局、黙り込んでしまったり、相手に目を合わせないで、「あー」とか「えー」とか言いながら、棒読みの言葉を並べる挙動不審な私に戻ってしまう。その度に、言いたい事をうまく伝えられなくて、格好悪くて、とても悔しくなった(それゆえ昔は、こうなるのを避けるために、約束をキャンセルする事も多かった)。
 
こういう時、私はいつもピアニストがピアノを弾くように、喋る事ができたらいいのにと、願うような気持ちになる。
 
彼らは、用意した台本を読むだけの私のようには、ピアノを弾かない。アドリブだって効かせることもできる。つまり、一度譜面を見て、心をメロディに寄り添わせ、そこから浮かび上がった感情に合わせて、テンポや強弱、リズムを自由に変えて、最適な形で伝えるようにする。そして、ピアノで出せる音で全てを伝えるために、全力を尽くすのだ。
 
そういうことを、私もおしゃべりで出来るようになりたい。今思っていることを、最適な言葉で伝えられるようになりたい。しかし、それまで一体あと何十年かかるのだろうか…。
 
 
ところで、私が文章でポエジーな事をなるべく上手に言おうとしたり、ショパンだとかジャズだとか、音楽に叙情的なものを求めるのは、実生活における喋りの下手さの反動によるものなのかもしれない。
 
そして、感情表現が豊かで、喋りの上手い人を好む傾向にあるのも、同様に、その反動なのかもしれない。