読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

なんというか、始まってしまったものは、もう止められなかったのだ。

人は何のために学び、何のために生きるのだろうか。

先日、知人が私に「勉強をするなら、仕事のためになることをしないと無駄に思えて焦ってしまう。休みの日は友達や誰かに会わないと辛くて仕方が無い。だから正反対の貴方が羨ましいし、凄いと思う」と言ってくれた。

けれども、私だって、仕事に関係する勉強もするし、休みの日友達に会うことも一応時々くらいはある。ウナギだとかショパンだとか趣味の勉強には、本当に、それは他人が驚くくらいに夢中になるけれど、だからといってそれのせいで実生活に支障をきたすこともない。私はかなり、知について、社会に対して、自らの孤独について、ナンパな接し方をしていると思う。

私なんかより、基礎研究の研究者や芸術家ほど、ずっと孤独で、真摯に知や社会というものに向き合っている人はいないと思うし、追いつけやしない。本当に彼らには頭が上がらない。だからウナギやショパンのことを好きなのかもしれないし、憧れすら抱いているのかもしれない。

「太ったブタよりも、痩せたソクラテスになれ」で知られる東京大学の大河内一男総長の言葉を、私の好きなウナギ学者の塚本教授は著書で使っていたけれど、最近になって、情けなさからなのか、後ろめたさからなのか、そういうものに焦がれている自分を心の中に見つけた。

さて、ウナギを突然猛烈に好きになってから、かれこれ1年半くらい調べていたのだが、先日縁あって、おそらく世界でただ1つの「ウナギ学研究室」へお邪魔し、その、例のウナギ研究の世界的権威であり、海洋生物学者の塚本勝巳教授とお会いしてきた。なんというか、始まってしまったものは、もう止められなかったのだ。

しかし、この訪問を機に、ある程度達成された思いになり、情熱の収束が訪れるかと思いきや、そうではなかった。むしろ、ウナギについて、知についてきちんと向き合わなければならないと、新たなスタートを迎える思いになったし、その一方で、これまでの自らの中途半端な生き方について打ちのめされた感覚があった。

f:id:minamii:20151126212007j:image
(研究室のあるキャンパス内には鉄でできたウナギのオブジェが飾られている)

ウナギ学研究室は、日本大学の湘南キャンパス(神奈川県藤沢市)にある。湘南キャンパスには生命資源科学部や獣医学部といった、植物や動物を研究する学生の通う学部があり、敷地面積は東京ドーム12個分と広大で、講義を行う校舎や図書館の他にも、農場や馬小屋など、ここならではの施設がある。

f:id:minamii:20151126200417j:image

博物館もあり、たくさんの昆虫の標本や海洋生物の剥製が展示されている。博物館では12月19日まで期間限定で、企画展「うなぎプラネット」が開催されており、私が訪問した11月20日時点で、来場者はのべ1万4千人にものぼると聞いた。

f:id:minamii:20151206211838j:image

うなぎプラネットでは、一般の人が中々見ることのできない貴重なウナギの赤ちゃん「レプトセファルス」が入った水槽や、ウナギ研究にまつわるドキュメンタリー映像、ウナギのオブジェや創作物語までを見ることができる。

また、来場者が描いたウナギのイラストも飾られており(多くは子供が描いたもの)、他にもウナギ漫画家?として知られるラズウェル細木さんからが寄贈したサインもある。

f:id:minamii:20151126214702j:image
(生きたレプトセファルスの入った水槽。レプトセファルスの形は笹の葉のように細長く、色は白く濁りがあるもののほぼ透明。以前訪問した時より成長してシラスウナギになっているものもいたし、新しく追加されたものもいた)

f:id:minamii:20151205111514j:image
(子供たちが描いたウナギの絵。塚本教授のお気に入りは上から2番目のイラストだそうだ)


塚本教授は、東京大学で40年ほどウナギを海洋生物学者として研究、名誉教授となった後、2013年に日本大学へ移られた。現在はウナギの生態のみならず、歴史や文化など総合的にウナギを研究し、情報発信をされている。


40年もウナギについて研究している塚本教授という人は一体どんな人なんだろうと思っていたが、実際に会ってみると、救われるように明るくて、接した誰もが彼を好きになってしまうような、そんな人柄の良さがあった。そして、本当にウナギが好きなことが会話の節々から伝わってきた。彼が紹介してくれた研究生も凄く感じの良い方だったし、誇りを持って研究をされている素敵な方だった。

彼は私に「あまり共感されないんだけどーー」と前置きした上で、最近出された著書「大洋に一粒の卵を求めて」の中の「研究者という生き物」について書いている箇所が気に入っていると教えてくれた。

そこには「ウナギの謎を解き明かしたいと切に願ったから研究する」「それは誰のためでもなく、他ならぬ自分の満足のためだけなのだ」と実直な研究者の文章と、「研究者は一般の方よりウナギの生物学をよく知っている分、数が減ってしまった資源については、社会に周知し、警鐘を鳴らす義務がある」と気高い市民による文章が書いてあった。


研究者の中には身分のために研究をする人もいると聞いたことがあるが、それは普通の社会人においても同じである。ある程度の惰性を持って、実はそこまで好きではない、信じていない物事を続けることで、私や皆や、社会は保たれたりもしているのが現実である。

けれども彼や彼らは違うのだ。本当にウナギが好きで、本当にウナギのために活動をしている。積み上げた知が輝いて見える。そういう人に現実で出会い、私はなんて中途半端な存在なんだと、とても私でいられなくなるような感覚になった。 私は、これまで一度たりとも自分の研究や仕事、趣味について信じて疑わずにやってきたなんて言えるだろうか?

できるだけ知に近づきたい、そう思って色んなことを、特にウナギについて調べていたけれど、全く近づいてなんかいなかったし、私のような勉強の仕方では近くどころか、遠のいてるのではないかとすら感じた。

良い締めが思いつかない。兎に角私は、消費者や社会人という立場から外に出られない、いや、出る勇気も無いし、出る気も無い以上、ひとりのウナギの消費者としてあるべき姿について考えることになった。ウナギは貴重な存在であると、ただそれだけを、細々と日常会話の中で数少ない誰かに伝え、大切に食してもらう、きっと、私にはそれくらいしかできない。
今はただ、彼らから知を享受しているだけなので、代わりに何らかの方法で応援したり出来れば、もっと良いのだけれど。

大洋に一粒の卵を求めて: 東大研究船、ウナギ一億年の謎に挑む (新潮文庫)

大洋に一粒の卵を求めて: 東大研究船、ウナギ一億年の謎に挑む (新潮文庫)

でもやっぱり断っておきたい。ウナギは食べると嬉しくなるし、本当に美味しいね。

f:id:minamii:20151206223308j:image