読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

昨日の声、遠い土地、違う国

異国に想いを馳せることが多くなりました。いや、その余裕を持てるようになった、との表現の方が適切かもしれません。

仕事の関係上、違う国にいる仲間と電話で会議をよくするのですが、そのために、彼らの居る場所の時差を考えながら、互いにスケジュールを提案し合い、調整します。

例えば、日本とサンフランシスコなら、「日本時間午前9時、西海岸時間午後5時はどうですか?」と言った感じで(そこにロンドンやシンガポールシドニーの仲間が入ってくると、もうごちゃごちゃになりますが)。

指定の時間に電話をかけると、互いの国の時間帯が違うからなのか、「おはよう」でも「こんばんは」でもなく、「Hello」か「Hi」と皆決まり文句のようにまず挨拶をします。 こういう所がこの言語の素晴らしく便利で、合理的なところだと、最初の頃はとても感動していました。

今では流石に慣れが生じて、外国の方を恐れたり怖がったりすることもなく、会話の途中で(アメリカは−16時間だからまだ過去、シドニーは+1時間、ということは未来なのか…)といつも通りに(?)、いちいち感傷的になれるようにもなってきました(毎回ポエティックになるのは私らしくて、それはそれで面倒なのですが、しかし、どの言語を聞いていても、私は私で居られるのは有難いことです)。

ところで、海の向こうの過去から呼び掛けられる声って、何だかとてもロマンチックだなと思うんです。そして、その会議に参加している人間だけが、広大な場所と時空を行き来する感覚を味わえるだなんて、とても贅沢だと感じませんか?

私は全くと言っていいほど海外旅行へ行った経験が有りませんが、こういう機会を得て、初めて外の世界に興味を持ちました。また1つ、新たな価値観を手に入れられたような気がします。

さて、昨日と一昨日は、長く一緒に仕事をしていたアメリカの方が仕事を辞められるというので、彼と一緒にオンラインで彼の残りのタスクを片付けるような作業をしていました。 来週はアメリカ独立記念日で、時期的には夏季休暇(バケーション)にあたるので、このタイミングに合わせて他にも辞められる方も多いのかもしれません。

棚卸しの作業の中で、ふと、数年前の自分は、英語をテキストに起こすことすら、「I」の後に何を記せばいいか全く分からず、よく固まっていたのを思い出しました。 同時に、この長い期間に、彼から英語も仕事も全て教わっていたようなものだと、そこで初めて気づき、感謝の涙で溢れるような気持ちになりました。

兎に角、一から私に教え込むしか、方法がなかったのかもしれませんが、彼と私が、父と娘くらいに歳が離れているため成り立っていた関係性かもしれないとも思います。

今、日本時間ではもう土曜日の昼ですが、アメリカ時間ではまだ金曜日の夜です。今頃向こうでは、TGIFが開かれている頃でしょう。

彼はいつも、アメリカ時間の木曜日に「良い週末を」と言ってくれるとても優しい方でした。 私は、彼のような、優しさのために知性を使える人間になりたいです。