話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

都電荒川線と母の思い出/三ノ輪・蕎麦「砂場総本家」

私と母はいつも一緒だった。

幼い頃、母と2人でちょっと遠くへ出掛けるには必ず都電荒川線を使っていた。都電を使う理由は、荒川区町屋に生まれ育ち、社会経験の少ない母にとって、JRや地下鉄よりも、昔の記憶を頼りに使える都電が1番勝手が効くためだ。

あらかわ遊園」の乗り物で遊んで、そのお昼には母の作ったお弁当を食べたり、庚申塚の巣鴨地蔵通り商店街にある観音様を一緒に洗ったりした。梶原の和菓子屋「明美」では、餡子と求肥を都電の形の皮で挟んだ「都電もなか」が大好きで、買ってもらって喜んで食べていた。

明美の都電もなか

そういえば、母に都電での思い出話を聞いたことがある。小学生の時、親にこづかいを貰って都電で出掛けてみたものの、最寄り駅より2駅も行き過ぎてしまい、所持金もなく、泣きながら自宅までの長い道のりを歩いて帰ってきたことがあるそうだ。約50年前の当時の都電の乗車料は15〜20円ほどだったという。

現在は170円まで時代とともに値上がりしたが、母に貰うこづかいの100円がどれだけ有り難かったかを思い出させてくれるエピソードだった。

随分昔に、私は1人家を出ることになった。年に一度顔を見ることもない位、家族とも母とも疎遠になっていた。1人暮らしを始めて数年経った頃、私の祖母、つまり母のお母さんが亡くなった。あまり哀しい話をしたり、そんな表情を見せることすらなかった母が、私とのメールの中ではよく泣いていた。「なんで死んでしまったんっだろう」「まだ沢山したいことがあったはずなのに」。

哀しみが癒えてきたころ、彼女は祖母との思い出話をしてくれるようになった。「貧乏暮らしだし面白くないかなと思って」と母はあまり話してくれなかったし、今まで私から聞くこともなかったが、それはとても美しい荒川区町屋の娘の物語のように聞こえた。

以降、私は母の話を頼りに、荒川区町屋周辺を訪ねてみるようになった。こういう言い方なのは、プライベートで町屋に降りたこともなかったし、遠い昔に祖母の家へ行った記憶も殆ど残っていなかったためだ。

なんとなくまぶたの裏に、踏切近くの長屋の二階と老齢の夫婦は映っているのだが、霞みがかっていて実態が掴めない。けれどもそれが私の実家なのだということは、心で分かっている。

母は町屋近くの「ジョイフル三ノ輪」という大きな商店街で、毎日の食事やお弁当用の食材や、お惣菜を買っていたと聞いた。共働きの家庭に育った彼女は、家で掃除炊飯の殆どを担当していたという。

歩いてみると生鮮食品や食料品のお店以外にも、文具店、服屋、カメラ屋など様々なジャンルの店が入り乱れて存在している。魚の少し生臭い匂いや、揚げ物の匂いの中で自然に売られる生活用品にこの世界の当然を感じた。ジョイフル三ノ輪にはこのあたりに住む人々の生活のすべてが入り混じっている。

写真やビデオで母の幼い頃や若い頃の姿を見たことはこれまで一度もなかったが、彼女がどんな暮らしをしてきたか、何となく分かった気がして少し嬉しくなった。

このほか、漫画や雑誌のほか、鉄道の時刻表がなぜか充実している古書店「古書ミヤハシ」、商店街の中央に位置する銭湯「大勝湯」など、本当に色々な店があり、歩いているだけで楽しい。一方で、シャッターが閉まっている店もチラホラあり、寂しさも感じる。母の話によれば、「昔はもっと沢山人もお店もあって、盛り上がっていた」そうだ。

それからジョイフル三ノ輪を訪問する度に訪れる店ができた。「砂場総本家」という蕎麦屋で、ジョイフル三ノ輪にあるお店の中でも外観をひと目見ただけで、凄く歴史あるのがすぐに分かる。調べてみると「砂場」と名のつく全国に約150店ある蕎麦屋の本家本元だった。とはいえ、なんだか商店街に馴染んでいるのが良い。

砂場総本家は、1804年に麹町で創業し、1912年に三ノ輪に移転した。移転した大正の当時から同じ建物を使っているそうで、店の裏手に回ってみるとその歴史を感じることができる。店内に入るとより一層体感できる。

店に着くと頼むのは瓶ビール。それから「やきとり」、「天ちらし」。やきとりは、串焼きの焼き鳥のようなものではなく、皿に盛られた蕎麦屋の一品料理。ふっくらプリプリの身に甘辛いタレ、白ネギを添えて食べる。「天ちらし」とは天ぷらの盛り合わせのことを指す。この店で教えてもらった豆知識だ。

最後は〆の蕎麦だ。いつも「もりそば」を食べるか「ざる蕎麦」を食べるか、それとも「おかめそば」を食べるかしばらく迷い、注文する。この日はもりそばにした。やや硬めのそばに、辛めのつゆ。ザクザクと切られた白ネギとワサビをつけてすする。「蕎麦はやっぱりこういうものだよな」という気持ちにさせられる。庶民的で、どこか懐かしい。

店を後にし、ジョイフル三ノ輪を歩きながら、今日の出来事を母にLINEで連絡する。「懐かしい!久しぶりに行きたいなあ」と喜んでくれる。そして「昔はね」と、母はまた荒川区町屋での思い出を話し始める。