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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

東京者は「地方の人」と言うと嫌われる

そういえば、今年は「地方」へ行っていない。
それどころか東京23区、しかも千代田、中央、港、渋谷、新宿の5区以外へは両手で数えられる程度しか訪れていないような気もする。

「田舎っぺ」という、田舎で育った人や、田舎にずっと住んでいる人を指すあまり良くない差別用語があるが、言うならば私は「東京のかっぺ」であると思う。少し恥じらいすらある。生まれ育った東京から殆ど出ることなく生活してきた。

東京にしか住んだことがないし、東京しか知らない。まあ正直、それで特に不自由なく生活できている。むしろ恵まれているから、問題ないのだろう。それに、東京については強い愛着があるので、割と人より歴史や文化に詳しいし、その自信もある。充実している。

けれども、他県から東京へ出てきた人に出会うと、ほかの土地のことも知っているのが羨ましくなり、じれったい思いになる。「なんで私は東京以外に住んだり、長く滞在したり、きちんと訪問した経験がないのだろう?」そして「東京へ出るという感覚を体験していないのだろう?」と。

まるで何も苦労を知らない、他の世界を知らない、子供のまま歳をとってしまったダメ人間みたいではないかと。自分の無知を恥じるし、東京出身者以外との壁に、孤独を感じる。

そんな私は「東京」と「それ以外」という概念で、自分の身の回りの土地や世界をまったく自然に見ている。そして本当に悪気なく、「それ以外」を指す言葉に「地方」を使う。

そういう言葉が元々あったから用いただけなのだが、度々「配慮がない」とか「これだから東京者は」と揶揄される。

身の回りの人や、テレビやメディアではよく使われている言葉だから普段通り使っただけなのだが、初めて「地方の人」にこう指摘された時、失言をしたのに気がついた。東京の人が「地方の人」と言うと、他県を見下しているように感じられてしまうそうなのだ。

知らなかった分、すごく苦しくなった。彼らと壁を感じていたにも関わらず、更にその溝を深めることをしてしまった自分の過ちを反省した。コミュニティの外に追いやられた気がして、本当に寂しくなった。

東京のカッペは、東京のカッペなりに、他の出身者と上手に仲良くやれない難しさを感じているのだ。

ところで「東京のカッペ」という造語は、私のよく行く下町の老舗の喫茶店の店長が、彼自身について称していた言葉だ。
私や他の客が「今日は丸の内に行ってきた」、「銀座に新しい施設ができたらしい」なんて東京の他の土地の話を彼にすると、「外のことはわからねえや、俺は『東京のカッペ』だからさ。この店は年中無休だし、旅行に行く金もないし、もうこの土地から30年、いや40年以上出てないからな。銀座も丸の内もわからねえや」といった話で〆てくれる。

この掛け合いがなんだかいじらしく、気持ちがよくて、自分の生い立ちにも重なり、何度でもやりたくなってしまう。店長も、店やその街を片時も離れたことがないのを誇っているようで、なんだか嬉しくなる。

ちなみに、東京下町の孤島に暮らす「カッペ」が入れてくれるコーヒーは、ちょっと薄くて苦味もなく、新聞片手に何杯でも飲める懐かしい味わいなのが気に入っている。