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話半分で聞いてください

口ベタによる一生懸命

もう二度と、たどり着けないかもしれないバーで

隠していた宝物をひっそりと掘り返しては、その存在を確認している気分になる店がある。銀座の大通りから少し入った、古いビルのとある店の奥に隠された一室で、隠れ家のようにひっそりと営業しているバーを、そんなふうに想っている。

銀座のバーとはいっても、有名なバーテンダーのいるような格式高いオーセンティックなバーではない。メニューは、ウイスキーを3種類、ロックか水割りかだけ。私のような小娘でも分かる銘柄の。あとは、ただ良いジャズがかかっている。そして、ひと昔前の東京の街に生まれ育ったチャーミングで品の良いマダムがずっと相手をしてくれる。なんとなく、心もとない一人の夜を過ごすのには、すごくちょうどいい場所だ。

私は、ちょっと情けないのだが、自分から強く何か勧めたり、話をして聞いてもらったりするのが得意ではない。プライベートになると、急に自信がなくなるのかもしれない。だから曲やお酒のリクエストもほとんど出来ない。

けれどもこの店では、そのマダムが「姫と聴こうかなと思って」なんて真面目な顔でおちゃらけて言って、良いジャズを勝手にチョイスをしてくれる。飲み物も「水割りでいいよね?」と勝手に決めて出してくれる。ほとんど断りなしに全て決められてしまうのだけれど、自分が望んでいたものを見透かして提供して貰っている感じがする。それが心地よくて、たまらない。

その後はずっと、最近読んだ本だとか好きな街の話をふらふらしてくれる。「うん、そうですね」とか「そうかなあ」とか言いながら、会話を続けている。

時折、ここがなくなってしまったら、私はこの先いつまでどんな夜を彷徨うことになるのだろうと不安が襲ってくる時がある。だから、今度この店へ向かおうと、例の込み入った道を歩いている時、もしお店を見付けられなかったら……と怖くなる。無事到着し、店の扉を開いてもなぜか毎回、「ああ、もう二度と、ここへはたどり着けないかもしれない」という胸の詰まる思いになるし、同時に滲み出る安堵を隠せなくなる。

そして、彼女の笑顔を見るたびに、「ああ、また会えて良かった。本当に」。そう思って、いつも通り良いジャズを聴いて、勝手に出される水割りを飲んで、どうでも良い話をする。

いつもそこに在る日常は、何ものにも変えられないくらい大切なのだ。