世の中には、一緒にいると巻き込まれそうになる人と、誘われてしまいそうになる人といる。
前者は、マイナスの感情は怒号、プラスの感情は大笑いといった感じで激情的に表現するし、「誰かに伝えたい」との思いで聴衆を前提としたアクションをするので、近くにいるとその旋風に巻き込まれそうになる。
まるでベートーベンのピアノのようで、ゆっくりと弱く弾いていたと思ったら、いきなり力強く速い曲調へと変わるのに似ている。ベートーベンの音楽を聞くといつも圧倒されてしまうのだが、一緒にいると巻き込まれそうになる人にも同じものを感じる。
アメリカのサスペンス映画「4デイズ」ではベートーベンが使われていた。4デイズは、アメリカの各所へ核爆弾を仕掛けたイスラム系テロリストに、サミュエル・L・ジャクソン演じる拷問のプロフェッショナル“H”が尋問をし、爆弾の在り処を問うという物語。
Hの尋問はそれはもう過酷で、殴るわ蹴るわ、電流を流すわ、しまいには指を全て切り落としてしまう。それでも吐かないテロリストに、飴と鞭を効果的に使うため、癒しの音楽として聴かせるのが、ベートーベンの「悲愴ソナタ」だ。頑なな思いを、ベートーベンの強烈な音楽性によって無理やり解放させるためだろう。
Beethoven Pathetique Sonata - 2nd mov 「悲愴」2楽章 Eric Heidsieck
一方で後者の「誘われてしまいそうになる人」は、プラスの感情もマイナスの感情も星のまたたきのようにささやかで、儚げな人だ。だからなのか、その笑顔や言葉のひとつひとつに癒やされたり、寂しそうな表情にこちらまでため息をついてしまいそうになる。
前者がベートーベンなら、こちらはショパンの音楽のようだと思う。音階や強弱の幅は広く、曲調の変化は大きくとも、全ての流れがとても自然なのだ。
だから話を聞いていると、その話し方(旋律)次第で、恋をするようにうっとりしたり、胸が張り裂けそうな苦しみを感じたり、憂鬱さや悪夢に嘆息が勝手にもれていたりする。
ショパンの音楽は、聞き手の感情を誘うような音をしている。
An angry President Nixon meets with his Cabinet
さて、劇中で使われるショパンの曲を紹介する。アメリカ大統領リチャード・ニクソンの人生を描いた映画「ニクソン」だ。
ショパンの「ワルツ10番 69-2」と「マズルカ 23番 ニ長調 33-2」が掛けられる。オリバー・ストーンが監督で、ニクソンはアンソニー・ホプキンスが演じている。
ニクソンは、ケネディ時代に始まり(ケネディが始めた)泥沼化したベトナム戦争を終わらせようと奔走した大統領だ。しかし、世論は彼を支持しない。ウォーターゲート事件をはじめ、ケネディに比べ明らかにされた闇は多いけれども、評価できる点はあるにも関わらず。また、彼の生まれは貧しく、苦学して政治家になったという背景がある。
映画の中でニクソンは、自分の報われない人生を憂う時、ひとりたそがれ自室でウイスキーを静かに呑む。救われない人生の中の唯一の喜びを噛みしめるように、娘の結婚式で少しはにかむ姿を見せたりする。
そんな彼の嘆きやちょっとした笑顔は、彼の小さなため息がそっと漏れるようにして伝わり、映画を見ている者の心の奥底まで伝播する。
そういう所がショパンの旋律と似ている。つまり、ニクソンの哀しみ、時に見た光がショパンの曲調と見事に調和する。ショパンの音楽はこの映画にぴったりなのだ。是非映画を見てみてほしい。
Evgeny Kissin - Chopin Waltz No 10 In B Minor, Op 69, 2
Chopin : Mazurka Nr.23 D-Dur Op.33 Nr.2 - Vivace (Audio, 320Kbps)
ベートーベンとショパンの音楽はどちらも魅力的だが、曲調の違いから対極にあるなどと言われているし、ベートーベンの性格が偏屈ならば、ショパンは神経質と言って比較される。