「今を逃せば損をする」やり過ぎなカリギュラ効果/iPhoneの業者買取
長年のiPhoneユーザーで、2009年に発売された「3GS」から使っている。しかし、端末が手元にあると、iPhoneをなくしたときに代用に使えることへの安心感や、古くなっていく電子機器への個人的な愛着から下取りに出したことがなかった。しかしある時、思い立って手放すことにした。
家にある不要なものを整理していた時に、どうするか悩んで気づいた。勤務先に最新型のiPhoneを貸与してもらっているため、緊急時の個人携帯の代用はそれで済む。端末とともに過ごした思い出を思い返してみたが、どうも心にグッと来るものがない。処分しよう、そう思った。
液晶の端がやられているものもあったが、すべて電源はつき利用は可能。箱もあり付属品も揃えて持っている。しかしどこに頼めばいいかわからない。それならここで人生経験をつもうと思い、買取業者とメーカーと訪問することにした。
先に向かったのは地元の買取業者で、担当してくださったのは50歳には行かない年齢であろうベテラン風の方。そして、ついた値段は1端末当たり数百円。iPhone 11 proやXですらだ。iPhone購入の際に下取りに出していれば、1〜2万円にはなっていたはずで、メーカー下取りの部品利用のみでの最低価格でもこの金額はどうしても損した感覚がある。
正直に担当者へ聞く。
「こういう買取は初めてなのですが、正直下取りしたほうが価格が高くなる事はありえますか?」
「一度持ち帰って明日もしくは明後日にまたお願いしてもいいですか?」
担当者は言う。
「iPhoneはシリーズがどんどん新しくなるので、古い製品はどんどん価値が低くなる。」
「ジャンク品と言う扱いかつ、まとめての買取でなんとかこの値段である。」
「メーカー下取りしたとて、契約による。新規端末購入時に下取りが基本的にはされるものである。」
「あなたの手持ちの製品は悪いし古い。」
「もちろんすぐ決断することを強制はできないが、この製品をこの値段で買えるのは今の段階ででしか言えず、価格が下る可能性も大いにある。」
「売買契約を結んだら取り消しはできない。」
どうもおかしい、と思った。
・数百円ほどの売買契約にも関わらず、強気な発言である
・下取りに持っていくことをマイナスに捉えられるような話し方のコントロールがある
不要にカリギュラ効果を利用していないか。
わが町は長年住んでいる方やお店同士の連携が盛んなところがあり、噂が広まりやすい状況にある。そんななかで、こういったスタンスを取るのは、獲得できる利益よりも失う信用のほうが大きい。
それでも彼がそれを口にしたのは、私がこの街のものではないと見えたのか、二度とこない客と踏んだのか、電子機器に疎く見えたのか、その日の売上が個人ノルマギリギリだったのか。いつものクセなのか。
結局私は、最も価値の高いであろう手持ちの中でも最新の機種のみ買取依頼をせず、Appleストアへ持っていくことにした。ついた値段は液晶不良・バッテリー劣化でも5000円。
買取業者を呪いはしないが、不要な交渉に乗り、大きな損失をせずに良かったと感じた。次回業者を利用する際は、丸腰ではいられないことも学んだ。
仕事の前の1杯のコーヒー/映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」
朝コーヒーを買って、仕事へ向かいながら飲むのが好きだ。混雑した都会の電車に乗るのも、地下深い駅と地上との果てしない階段移動も億劫だが、香り高いコーヒーを手にした瞬間に、すべて意味のあるストレスだったかのように思える。仕事を始めんとする際にも、これから長い一日の戦いが幕を開けるというのに、この1杯のお陰で優雅な気持ちにさえなってしまう。
コーヒーを飲むことが、気持ちに落ち着きをもたらしたり、前向きなマインドを与えてくれる。むしろ、コーヒーを飲む余裕がある時点で、既にその状態にあるように思う。これは私だけに限らないはずだ。2026年3月20日に公開されたSF映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を先日鑑賞したが、その主人公グレースにとってもそうだろう。
ライアン・ゴズリング演ずるグレースは、分子生物学の優秀な博士であったものの、自由な振る舞いによって学会を追い出され、中学講師として慎ましくも豊かに生きていた。しかし彼の過去の研究が突如日の目を浴び、講師をやめてNASAでの仕事に着任することになる。太陽エネルギーが何らかの影響で減少していることが分かり、その結果、地球の寒冷化が進んで人類の滅亡が危惧された。それを救うのが彼の頭脳と研究であると注目されたのだ。
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政府が与える難題や、都度現れる新しい課題に対し、グレースはフレキシブルに対応し、着実に成果を積みあげる。ネタバレにならないよう詳細は省くが、最終的に彼はたった一人でさらなるミッションを宇宙で遂行することに。地球へ帰還する手段を与えられない辛い条件だが、「自分にしか地球を救えない」という宿命だけが彼の背中を押す、孤高な仕事だ。グレースは孤独に業務を進める中で、宇宙で別の惑星のエイリアン「ロッキー」と出会う。彼もまた、グレースと同じ「自分にしか故郷を救えない」という宿命を背負っていた。この出会いが彼らのエネルギーとなり、互いを躍動させていくことになる。
さて、この映画を観た方には、グレースのコーヒーにまつわるシーンを思い出してほしい。
例えば、NASAがあるヒューストンを離れ、機密実験をするためにグレースが空軍機へ無理やり乗せられ、遠い海上拠点に到着したあと。残りは殆どロケットを飛ばすだけという所まで研究準備が整い、一息つくとき。いずれもサンドラ・ヒュラー演ずる「プロジェクト・ヘイル・メアリー」のトップであるエヴァ・ストラットとのシーンだが、どちらも落ち着いて飲むことができない。
一方は用意してもらったコーヒーを貰うことすらできず、もう一方はコーヒーを手から落としてしまう程の出来事が起きる。彼にとっての穏やかでない非日常を、1杯のコーヒーすら飲めない環境が示している。
しかし、終盤のロボットアームに(おそらく)いつものモーニングコーヒーを作って貰うシーンは異なる。彼はそれを嬉しそうに受け取り、意気揚々と仕事を始めに向かう。その様子は、これから歩んで行くこれまでと異なる環境、仕事、その未来を、コーヒーとともに日常として前向きに受け入れ始めているように感じる。
1杯のコーヒーを穏やかに飲める環境、心持ちでいられることが、いかに大切で幸福であるか。私は思い出した。
歳を取るたび、引き算されていく
まつ毛エクステを付けるのをやめた。18歳の時から10年以上継続していたけれど、今更まつエクをつけた自分の顔が不自然に思えたり、公私共にない方がいいシーンに何度か直面したり、何よりお金がもったいないし、メンテナンスも最低月1回行くのが面倒になって辞めてしまった。
まつエクをするメリットは大きく2つあった。顔が大きいわりに目が小さいがゆえ、より太って見えるのを少しでも誤魔化せる気がしたことがひとつ。化粧品や洗顔料で顔が痒くなりやすい肌質なので化粧があまりできないけれど、まつエクさえつけていれば化粧をしている「風」に他人には思ってもらえることだ。
前者は心の弱さである醜形恐怖を、後者は身体的な弱さである敏感肌をカバーしてくれたし、根源的に私が取り憑かれてる「(他者に求められたことで作られた)あるべき女性像」に近づけてくれることもよかった。 私のような何も取り柄のない人物は、痩せてなければいけないし、化粧をして可愛い服を着て、きちんと女性をやることができなければ世の中に受け入れられないーー。割と本気でそう思っていた。信じられない話かもしれないが、身近な方にそう指摘したり叱ってくる人が何人もいた。
今ごろになって、こういった自身の思考や環境の危うさを克服し始めることができたからこそ、まつエクを辞められたのかもしれない。周りの人にとっては大したことない見た目の変化に過ぎないが、私の中では人生における大きな革命だ。
一つ前のエントリーで「髪を染めない、流行を追いかけない」という記事を書いた。自然な髪色、自分の体型に合った好きな服。最近ゆっくりと自分が自分らしくなっていく感覚がある。ただ他人のために繕ってきた鎧を脱いでいくような。
歳をとるたび、引き算されていく。今の自分の見た目は、結構好きだ。
髪を染めない、流行を追いかけない
髪。黒髪に変えてしばらく経った。カラーが抜けて明るくなると下品に見えるのが嫌で、思い切ったのは遥か昔。まずは地毛に近い黒色で染め、その後色が抜けてきたら部分的に補修するように美容院で染色している。染める周期は2ヶ月に一度から、倍以上になった。髪はツヤツヤ、サラサラで、髪色や手触りに悩む日が無くなった。
服。買いはするが、欲張ったり、冒険はしない。ZARAのベーシックラインを着続けている。手長ザルのような私の体型に合うので気に入っている。購入後は、手洗いとほつれの手直しをしながら大事に着る。最近はこれしか着ない。ニットやスキニーデニムなど、体にフィットしたシンプルな服。体型管理にさえ気をつけていれば、好きなシルエットの自分しか鏡に映らない。
黒髪にする前は、美容師に眼光鋭い私の顔と175cmの高身長では「威圧感が出るのでやめておけ」と望んでも諭され叶わなかった。「ピンク色を入れて女性らしさを出しましょう。」「緑を入れて話しやすいカジュアルな雰囲気にしましょう。」 毎日代わり映えのない服を着ていると、「もっとこういう服着たらいいのに」「損しているよ、もったいない」とアドバイスいただくことも多かった。真っ青なワンピース、赤いジャケット。女性らしいボディライン。生地やデザインに拘ったブランドの服。
(言うとおりにしていれば、貴方や皆にもっと気に入られるの?)
無理して見た目を繕ったその先には、他人からの空虚な肯定しかない。しかも、自分で納得した外ヅラでないから「これでいいのか?」と不安がいつもついて回る。心の飢餓感に苦しめられた。
30歳になった時、ふと周りの意見がどうでもよくなった。他人の意見のままに自分の見た目を変えようと努力するのがバカバカしくなった。 化粧っ気もついでになくなった。しっかり化粧をしないと女性として見られない、社会人失格と聞いていたけれど。痒さや手間を我慢して顔に手を施す理由が分からなくなった。薄化粧になっても、真摯に向き合えば仕事はちゃんと手に入れることができた。
ブスなんだから、他人の目を意識し外見に拘って生きるべきだと思っていたのに。声をかけてバッチいと嫌がられるほど見た目に優れない人間に、自己肯定感など一生生まれないと思っていたのに。いつしか私の中にこれでいっか、と言う気持ちが訪れた。
自己肯定感には、他人に認められて生まれる感覚と、自分をありのままに受け入れる考え方と2つあるという。前者にすがらず、後者を身につけた時、重かった肩の荷が降りた。
公園に行きたくなくて、アリが怖いからと嘘をついた
幼い頃の私は公園遊びをよく拒んでいたと聞く。
親は親で、上の子や他の家の子は「お友達」と楽しそうに遊んでいるのに、私は嫌そうにしているのが理解できなくて仕方なかったらしく、何とかして公園遊びを克服させようと必死だった。
「なんで公園に行かないの?」との質問に、「アリが怖いから」と私はいつも言い訳していた。その後で「アリさえいなければ公園に行くのか」と問い詰められると、私は「分からない」と答えていた。その度に「ちゃんと答えろ!」と殴られた。
アリが怖いのは、無理やり連れてこられた公園で、「お友達」を避けて木陰で座っているからだ。やっと見つけた1人になれる場所なのに、身の回りによく分からないものがたくさん居るのが気持ち悪くて仕方がなかった。
アリへの恐怖に耐えながら公園で時間が過ぎるのを待っていると、「遊具で遊べ」「お友達に混じってこい」と親に命令されてしまう。とはいえ、公園には面倒な序列やグループがある。そう簡単にいくものではない。それに自ら巻き込まれに行くのが面倒臭くて、家に帰りたくて仕方がなかった。
アリ自体が嫌なのは本当だけど、もっと嫌なものが公園にはあった。
思えば、昔からこうやっていかにも真っ当そうで少しズレた理由を意見し、真意を隠すことが多かった。相手をガッカリさせないように、弱みを握られないように。親は今でも、私が公園を嫌がった理由をアリのせいだと思っている。
大人になった今でも、答えをごまかしてしまう。私はいつも通り、アリが怖いと言う。心の距離は遠いままだ。
独り立ちの時、お母さんがくれた鍋
鍋の手入れをする時間が好きだ。
黒ずみを落とすため、鍋の外側と内側をスポンジで丁寧にこするのは根気がいる。けれども、だんだん綺麗になっていくと嬉しくて、ツヤツヤに戻った姿を見ると幸せな気持ちになる。
うちのお鍋は、私が一人暮らしを始める時にお母さんが持たせてくれたもの。特別な素材やブランド品ではなく、一般的なアルミ製の雪平鍋と両手鍋。サラリーマンなら中堅かもしれないが、両方とも9年目のベテラン選手だ。
新品の時についていたはずの表面のコーティングはすっかり剥がれているし、アルミ鍋は焦げ付きやすい。手入れも正直ちょっと面倒だし、新品の良いお鍋に買い替えることも考えた。けれども、ずっとそれが出来ずにいる。
なかなか捨てられないのは、家族と私を繋ぐ特別な存在だからだろう。実家との距離は遠くとも、母から貰った鍋がうちで毎日の生活を助けてくれていると、一緒に暮らしているような気分になる。
時間があった日の夜、洗った鍋で米のとぎ汁を煮立てて流し、丁寧に手入れした。アルミ鍋を長く大切に使うためのポイントだ。ツヤツヤの鍋をふきんで拭いて戸棚に戻す時間が、たまらなく愛おしかった。

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センセイと星空
八ヶ岳の夜は美しい。静かで穏やかだ。雑音一つ聞こえない。周囲は高い山脈に囲われており、その内側で過ごす人々は、優しくて暖かい。
政治学の研究室の皆で、教授が「色々と」手伝っているという自治体にあるコテージへ合宿に来ている。合宿と言っても、自治体の問題の表面を舐めるためのツアーであって、ほとんど観光をしているようなもの。参加自由なので、研究室のメンバーも物好きか、遊びたいかくらいの理由を持つ数人しか来ていない。その頃の私はちょうど地方自治を研究していたので、もちろん参加した。ツアーで見学したのは再開発中の工事現場や、新しいショッピングモールなど。更新中のこの街に「色々と」感じ取るものがあった。
夕食で食べた、八ヶ岳の新鮮な野菜を使ったフレンチのコース料理は見事だった。特に前菜で食べた大きなセロリ。東京で見るものの3倍のサイズにもかかわらず筋がなくて、青みがとても爽やかだった。教授は「こういうものを守るために諸々手伝っているんだ」と言った。
「ちょっと」
「はい」
「夜に向けて買い出しへ行こう。君は運転をしなさい」「まっすぐ20分くらい行けばセブンイレブンがある。その前に一度右折できるところがあるから、そこを曲がりなさい。見せたいものがあるから」
教授のことを私はセンセイ、と呼んでいた。「センセイ、曲がりましたが、この後は?」
「まっすぐまっすぐ。ほーら! 見えてきた。ここで止めて。」「悪魔のような深い深い谷底。ふふふ、怖いでしょう?」
「永遠に下へと続くような暗黒……ですね。周りに誰もいないし、一人では怖くて孤独で耐えられなそうです」
「でもね、そう悪いもんじゃないんですよ。この崖のギリギリに立つと、自分のやっていることがなんてちっぽけなんだと思うんです。足掻いてもすぐにでも飲み込まれてしまいそうな、無力を感じるんです。けどね同時に、なぜか大切な人のことを思い出して勇気が湧いてくる。私がやるしかないってな感じでね」「ほら、上の星空も綺麗でしょう。下に広がる闇と同じくらい、綺麗なものがたくさんあるんですよ」
「いいでしょう? ここ。」
今週のお題「星に願いを」